今週のコラムニスト:レジス・アルノー

 日本のニュースを見ていると、これはまずい水割りかと思うことがある。水が多すぎて、肝心のアルコール、つまり「意見」が薄まっているからだ。

 私たちジャーナリストは、何でも記事にするくせに自分たちのことだけは書かない性癖をもっている。だが日本で歴史的な政権交代が起ころうとしている今は、報道機関のあり方についての議論を始める絶好の機会でもある。いま私たちが目の当たりにしている民主的な論争は、報道機関にも大きな影響を与えるからだ。


 自民党の一党支配が続いたせいで、日本の報道機関も1つの声しか発しなくなった。毎日新聞も朝日新聞も読売新聞も、見出しは毎朝そっくりだ。かつての健全な2大政党制に戻り、対峙する両党がそれぞれの主張を展開するようになれば、報道機関もどちらの立場を支持するか鮮明にせざるをえなくなる。それは、読者の関心を取り戻すチャンスでもある。


 新聞の読者は減り続けている。代わりに日本人は、お笑い番組を見るかヤフーでニュースを読む。販売部数の急減で、今後多くの雑誌や新聞が消えていくだろう。日本では、この変化はとりわけ大きなものになる。日本のメディアは1つの仕事をこなすために地球上のどのメディアよりはるかにたくさんの人手をかけてきたからだ。しかも必要なコスト構造の見直しを何年も先延ばしにしてきたため、ムダは異常なレベルに達している。メディアのメタボリック症候群だ。

■1件の取材で仏滞在1週間のメタボぶり

 NHKの夜7時のニュースはほとんど国内ニュース中心だが、NHKはほとんど他に例がないほど大規模な海外特派員網をもっている。報道カメラマンやビデオジャーナリストもそうだ。記者会見場に足を踏み入れると、いつもそこには新聞やテレビのカメラマンが何十人もいて、まったく同じ退屈な光景を撮影している。1人の人間ですむ仕事だ。


 NHKの夜7時のニュースを見ていると、テレビカメラマンの仕事は、首相が総理官邸に入るところと出てくるところを撮ることだけのように思えてくる。繰り返すようだが、これはニュースではない。ビデオによる「監視システム」だ。こんな仕事は、首相官邸に設置されている監視カメラに任せてしまえばいい。新聞が毎日、朝刊と夕刊を出すシステムも他の国にはない。


 私たち外国人ジャーナリストはよく、日本の同業者を羨ましく思ったものだ。彼らは世界の主要都市に支局を構えている(対照的に、日本に専属の特派員を置いているフランス紙は1社だけだ)。以前、日経新聞の記者2人に会ったときは、フランスの極右指導者、ジャンマリ・ルペンをインタビューするためにパリへ行くと言っていた。なんとそのために、フランスに1週間滞在するという。たった1件のインタビューに1週間とは!


 だが、こんな金の使い方は持続不可能だ。人々は今、情報はタダであるべきだと考えている。ほとんど中身の変わらない大新聞各紙と、さらに地方新聞にお金を払う理由などない。そして彼らは正しい。ニュース業界には奇妙なパラドックスがある。日本においてとくに顕著なのだが、ジャーナリストの数が多ければ多いほど、ニュースが少なくなるのだ。ジャーナリストの数が多ければニュースの質が上がるというわけではない。むしろ実際は逆のようだ。世界中に特派員網をもつ割には、日本人は世界で何が起こっているかをよく知らない。

■英雄的な記者をなぜ称えないのか

 一方で、日本には勇気ある調査報道記者が沢山いることも事実だ。ビルマで射殺された映像ジャーナリストの長井健司は、日本のロバート・キャパだと思う。それなのになぜ、それにふさわしい地位と名誉を与えられなかったのだろう。なぜ天皇は長井の妻に会わなかったのか。日本のメディアはなぜ業界としてこの英雄の像を建てなかったのか。彼こそはジャーナリストの鑑ではなかったか。メディア界は、長井が私たちジャーナリストすべてのために死んだのだということを理解しなかった。彼は私たちの名誉を守ってくれた。私たちの罪や妥協を、その血で洗い流してくれたのだ。


 では未来はどうなるのか。私は、新聞大手は自らをニュースの提供者ではなく影響力の提供者だと考えるべきだと思う。そのためには今よりもっと積極的になり独自の主張をもつ必要がある。8月30日の総選挙とともに、報道機関にも歴史的変化の時が訪れる。彼らがそれを活かせることを祈りたい。