一方で、19世紀後半に活躍したフリードリヒ・ニーチェの「善の基準」は、なんらかの面で卓越し、その才能を開花させることである。彼が提唱した哲学のテーマの中心は、人間らしさを封印された「群れ」から抜け出して高みに達することで、いかに人として繁栄するかというものだ。自らの人格と行動に責任を負うことで、自らの人生と価値観を創造していけると考えたのだ。

著者は、「アリストテレスの冷徹な理性とニーチェの情熱のどちらに魅力を感じるか」と問うている。どんな組織であれ、ニーチェリアン的精神である「情熱や大胆な試みが大きな意味をもつ機会」もあれば、アリストテレス派のように協力し合って徐々に改善するほうがいい場合もある。どちらにせよ大切なのは、人間中心の組織をデザインすることだと言っている。

リーダーとしての成功の秘訣

一般的にリーダーの役割は「指示を出し、ルールを定めることで、部下が集中して仕事に打ち込めるようにすること」と言われている。しかし著者は「リーダーとは自ら模範を示す人物であり、部下が成果を上げるためには公平さが必要だ」と考えている。


「お手本を示すことは、他人に影響をおよぼす主要な方法ではない。唯一の方法である」
(154ページ)

著者はこの格言を、リーダーとしての成功の秘訣をみごとに言い表していると言っている。力の行使は、その力の権威を利用しないほうが有益な結果をもたらすことになる。真のリーダーは本能的にそのことを心得ているので、権威の代わりに模範を示すのだ。人間は社会的な動物であるがゆえに、その振る舞いは、仲間に強く影響される。人は一緒にいる相手に似るものだ。常に他者をお手本とみなしてまねをし、自らを測る基準にしようとする。これを用いたテクニックははるか昔から使われ、「範例(模範とすべき例)」と呼ばれている。

この「範例」を用いたもっとも名高い人物が、1世紀ごろにギリシアにいた哲学者で神官、歴史家でもあるプルタルコスである。それぞれの人となりは理性、感情、習慣の組み合わせであり、人は激励されれば、自らの習慣を理性の力で変えようとするはずだと考えたのだ。お手本にするのは誰でもかまわない。その人の基準にかなうように振る舞えばいいのだ。たとえば、勇気が必要な状況に直面したら、勇気ある人物は同じ状況でどうするかを想像し、その通りに行動する。その人物のふりをすることにより、やがてその人物に近づくことができる。意識的に範例を使うことにより、人を良い方向に導こうとしていたのだ。

もし、自分が感じている「疎外」を追い払い、自分のエネルギーと影響力を誰もが輝ける環境づくりに役立てたいなら、自らの行動を変化させ、「この組織は、どんなふうにすれば人の役に立つのだろう」と考えてみることを著者はすすめている。自分がどんなお手本を示しているかに敏感になり、相手の立場に立つことが必要なのだ。

成果を求め、効率化や生産性を優先させた結果、「人間らしさ」は後まわしにされがちになる。しかし、成果と人間らしさの両立は決して不可能ではない。紀元前から近年の幅広い時代に活躍した偉大なる哲学者から、そのヒントを得ることができるだろう。