著者はこれを、「当時の日本人にとって、戦争とは“兵隊さんが大陸で行う『イベント』”だった」と表現しているが、つまりはそれこそが「戦争を甘く見る空気」の本質だ。

多くの場合、戦争は最初から「戦争という形」では訪れない。日常の延長上で、それは“戦争へと成長するなにか”であるとは誰も気づかない形で近づいてくる。そして(メディアを利用するなどしながら)人々の心を高揚させ、少しずつ「戦争」へと膨らんでいく。

 戦争を甘く見てはいけない。軍備増強や武力による威嚇で平和がもたらされるという、政府や軍部の一見もっともらしい説明を、安易に鵜呑みにしてはいけない。

 そして、政府が一度始めた政策の間違いに気づいて方針を転換するという「勇気ある決断」を下せない時には、国民の側から「もう止めろ」と、集団で声をあげて止めさせないといけない。そうしなければ、間違った政策は国が破滅の淵に到達するまで続くから。

 心の中では「おかしい、理不尽ではないか」と思っていても、周りの人が何も言わないなら、自分も黙ってそれに合わせて黙る、という「付和雷同」の気質も、当時の日本国民が組織的に「戦争はもう止めろ」と言わなかった理由の一つと考えられます。(「はじめに」より)

1937年と2026年に重なる「不穏な空気」

こうした記述を読むと、さまざまな意味で現在の日本との類似点に気づく。

政治家の現実認識力は低く、その思考形態は明らかに戦争や武力行使を軽んじている。そんななか、SNSやネット上では、威勢のいい強硬論に煽られる国民の感情が暴走している。

私は最近、故・田中角栄の「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが戦争を知らない世代が政治の中枢になった時はとても危ない」という有名な言葉を思い出すことが多いのだが、すべてが細い線でつながっているように思えてならない。

もしかしたら、考えすぎだという意見もあるかもしれない。だが、高市総理の言動を引き合いに出すまでもなく、不安要素はいくらでもある。

だから、著者のこの意見にも強く納得できる。

「胡散臭い」と感じることの重要性
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