思うにそれは日本人が大切にするおもてなしの精神からであろう。来ていただいたお客さんの立場によりそって不便がないよう気遣いをする、だから相手の国(地域)の文字で書いたのだろう。

ただしその他に、日本人は字体にこだわる傾向があるということも理由の1つではないかと思える。たとえば人の名字で、齋藤と斎藤、渡辺と渡邊、渡邉などを間違えると相手に失礼になることは日本の常識である。

しかし「齋」と「斎」、「辺」と「邊」「邉」は、同じ字の本字、略字、異体字の関係で、ハンコは篆(てん)書体を使う、あるいは英語の活字体や筆記体と同じで、用途や場合によって使いわけるだけで、同じ字である。

したがって中国人にとっては、字体の相違は本質的問題ではない。台湾の「陳」さんは大陸に行けば簡体字で「陈」と書かれ、大陸の「马」さんは台湾では「馬」さんになるが、そんなことにこだわる人はまずいない。

さらに台湾、香港は繁体字使用といっても、それは正式の字体が繁体字というだけで、手紙やノートでは略字を使用しており、その大半は大陸の簡体字と似たり寄ったり、また大陸の簡体字の多くは、従来の略字を正式の字体にしたもので、もとの繁体字を知っている人も少なくないし、簡体字からの類推もできる。

つまり日本の両字体併記は、台湾、香港の人は、日本人は親切だと喜ぶであろうが、実用的には是非必要とは言えないのである。そのせいかどうか、近年では簡体字のみの表記が増えているようである。

ただし先のポスターは、文体も変えてなかなかうまくできているので、中国語を知っている人なら思わず立ち止まり、スマホで写真を撮りたくなるであろう。

次に電車の駅名放送──固有名詞の現地発音主義

これに似たサービスに電車の中やホームでの駅名アナウンスがある。たとえば、「次は羽田空港です」の「羽田空港」は、英語では“Haneda Airport”、中国語は「Yǔtiánjīchǎng(机场〔機場〕は空港のこと)」、韓国語は「하네다(Haneda)공항(gonghang、「空港」の韓国漢字音)」となっている。

これは音声なので字体は関係ない。問題は「羽田」の発音である。中国語放送は中国語で読んでYǔtián(日本語でも音読みなら「ウデン」)だが、韓国語はHanedaと日本語読みで、英語と同じである。韓国漢字音では羽田は「우전(ウジョン)」だが、そうは言っていない。なぜであろう。

漢字の字体はいろいろだが、基本的に漢字文化圏では共通である。一方、漢字の発音は、中国標準音(さらに各地の方言音もある)、ベトナム漢字音、朝鮮(韓国)漢字音、日本漢字音(呉音、漢音、唐音)とばらばらで、もとはすべて中国古代音に由来するが、長い間にそれぞれの国で独自の変化を遂げ、似ている場合もあるが、全体としては耳で聞いただけではわからないほどの違いができてしまった。

そこで同じ漢字をそれぞれの国の発音で読むのが通例となり、目で見ればわかるが、耳で聞いても何のことかわからないことになる。日本にはこの他、漢字を日本語の意味で読む訓読みもある(山-「やま」など。昔は朝鮮にもあった)。