<漢字を借りて、日本語が手に入れたものについて。論壇誌『アステイオン』104号の特集「漢字・漢語・漢文──文明から考える」より「日本語の光と影──和語・漢語・カタカナ語をめぐって」を一部抜粋>
「漢字伝来」という大事件
日本語の光も影も、すべてはこの言語が中国語(と総称しておこう)を自らの表記法として借用したところに由来する。世に言う「漢字伝来」である。
当然のことながら、それまでの日本には、いや、まだ「日本」という体を成してもいないこの島国には、ものごとを記録しておくすべがなかった。人々が話していたのは「原(プロト)日本語」とでも呼ぶべき言語で、おおよそ私たちが「やまとことば(和語)」と呼んでいるものと解しておいてよろしかろう。
そんなところに漢字伝来。日本史では、紀元4世紀ごろに王仁(わに)や阿直岐(あちき)が百済から伝えたとされているが、もちろんこれは象徴的な物言いでしかない。それ以前にも、この島国への渡来人や漂着民はあっただろうし、漢字が伝えられたと言っても、それがこの地に根づくようになるまでには、かなりの時を要したにちがいないのである。
ところで、この表記法としての漢字の借用というものが、またどれほど大変な出来事であったのか、よくよく考えてみる必要もあるだろう。
たとえばそこで、英語語彙のなかに大量のフランス語が流入した1066年の「ノルマン征服(ノーマン・コンクェスト)」あたりが連想されもするだろうが、漢字伝来は、実のところ、そんな出来事をはるかに越える大事件であったのだ。
比較言語学的に見れば、英語へのフランス語の影響など、たかだか「インド=ヨーロッパ語族」内のちっぽけな小競り合いで、単語のすげ替えが行なわれた程度のもの。
それに対して漢字伝来は、「シナ=チベット語族」という文法的にも語彙的にも日本語とは似ても似つかぬ言語族の文字を、垣根を越えて受け容れようという驚くべき試みであったのだから、たまったものではない。
われらがご先祖は、「艱難辛苦」の末に、そこから大がかりな言語的「換骨奪胎」を行なっていくことになるのである。
「万葉仮名」から「ひらがな」「カタカナ」へ
まずは漢字の音を借りて、次のように詠じてみる(万葉七九三)。

いわゆる「万葉仮名」の登場だ。これは大伴旅人が愛妻を亡くした時の一首だが、それにしても、この込み上げてくる悲しみを切々と歌い上げるには、あまりにも字画が多く、これには旅人もさぞかし歯がゆい思いをしたことだろう。