私たちは、野生動物との間に何らかの「境界」を持ち、切り離されているのだろうか。あるいは地続きの同じ空間に身を置きながら、彼らの存在を見ないようにしているだけなのだろうか。
日本国内のクマ被害が深刻化している。4年ほど前、北海道羅臼町で特異な食性と行動を持ち、8匹の飼い犬を殺傷したヒグマ「RT」が駆除された。数年続いた一連の被害は、人間と野生動物が適切な距離を保って暮らしている、という前提に揺らぎを与えた。
私は「RT」の軌跡をたどるべく現地に通い始めた。当初、街や森に野生動物の気配を感じることはできなかったが、次第に彼らの痕跡の捉え方を学び、その存在を五感で認識するようになった。
森の縁に仕掛けたトレイルカメラには、凄惨なクマ被害の現場とは対照的な、淡々と繰り返される生物の営みが記録されていた。そこには、私たちが想定している「境界」を越えていく野生動物の日常があった。
森と街、野生と人間は「境界」で分かたれている──人間が長らく前提としてきた秩序は、元から必ずしも明確ではなかったかもしれない。私は、「境界」をいま改めて問い直す必要性を感じた。まず人間には見えていない存在を写し出すため、カメラの記録や人間の生活圏、ヒグマの軌跡を1つ1つ紡ぎ合わせた。浮かび上がってきたのは「越境する存在」への畏怖と、無自覚に共存している事実から生まれる静かな戦慄だった。
羅臼町の出来事は特殊な例ではなく、「境界」の揺らぎが日本各地で起きつつあることを示唆しているのかもしれない。本作は、人間と野生動物の単純な対立を描くものではない。両者の「境界」はいかにして成立し、揺らぎ、なおも維持されようとするのか、そのプロセスを視覚的に捉え直すことが目的だ。
揺らぐ「境界」を通して、人間と野生動物の不可視な関係を考察しようとする一つの試みである。
𠮷田多麻希(写真家/ビジュアルアーティスト)
撮影:𠮷田多麻希 野生生物や自然を人間の有り様を映し出す「鏡」として捉え、日常に潜む見過ごされがちな微細な繋がりを可視化し、人と自然の間に「新たな均衡」を見出す視覚的な物語を追求する。京都市のRPS京都分室パブロルでフォトジャーナリスト・松村和彦との共同展 KG+SPECIAL『閾ー揺らぎの像』が5月10日まで開催中
<写真展>
タイトル|KG+SPECIAL 『閾 ─ 揺らぎの像』 5月10日まで
作家|𠮷田多麻希、松村和彦
キュレーター|後藤由美
会場|RPS京都分室パプロル
【連載第1025回】Newsweek日本版 写真で世界を伝える「Picture Power」2026年4月28日号掲載