<「常夏記者」の原点と「戦争報道」の現在。今こそ読んでおきたい良著について> 

マスコミは毎年8月、大日本帝国の戦争を振り返る企画を繰り返し報道する。しかし、他の季節はさほどでもない。こうした風潮は「8月ジャーナリズム」と呼ばれる。

そんな中、私は節目に関わらず、「一年中8月ジャーナリズム」の旗を掲げて「戦争報道」を続けている。10年前の2016年春、同僚が「栗原さんの紙面は、常夏」と述べて以来、私は「常夏記者」を自称しているが、戦争報道を続けて気がついたのは、「戦争は未完である」ということだ。

思い返せば、その「常夏報道」の原点になったのが、46年前に読んだ『歴史と視点 私の雑記帖』(新潮文庫、1980年)だった。

私は東京都内の団地で育った。狭い家には大きすぎる本棚があった。そこには北杜夫や新田次郎などの作品があった。ひときわ存在感を示していたのが、『司馬遼太郎全集』(第1期・全32巻)だった。今から50年近く前、小学6年生時、私は『関ケ原』を読み始めた。なぜそれを選んだのか、覚えていない。

重厚な一冊の、薄い緑色のページを開く。小さな活字が二段組み、見覚えのない漢字が並んでいた。読み始める前に自分が成長したような気がした。しかし、20数ページで挫折した。

中学生になって早々、再挑戦した。『国盗り物語』。こちらは、むさぼるように読み進めた。ストーリーが分かりやすかったからか、自分の読書力が増していたのか。いずれにしても、私的「司馬作品ベストスリー」を挙げるとしたら、本作はその中に入る。

以後、中学の3年間で全32巻を読破した。親が整える読書環境は、子どもに大きな影響を与える。私はそれを体感した。

小説では飽き足らず、エッセーも読み進めた。ことに、戦争体験を振り返った作品にひかれた。中でも強く印象に残ったのが前掲の『歴史と視点』だ。司馬の戦争観、国家観の土台となったであろう体験をつづった三編が収録されている。「戦車・この憂鬱な乗物」「戦車の壁の中で」「石鳥居の垢」だ。