<フィギュアスケーターから転身した異色の研究者がジャンルを超えた新たな批評を生み出した。「身体と理性の対話」について>
身振りはことばを介さない表現である。ゆえに、もしもそれ(例えば舞踊)を人文学の俎上に乗せようとすると、それを一度、ことばに置き換えなければならない。時間の推移とともに生起する動きそのものを言語化すること――身体芸術研究の難しさである。この困難への大きなヒントを提供するであろう現代の研究者が、町田樹である。
町田樹の仕事
町田氏は、トップクラスのフィギュアスケーターから、研究者へと転身した異色の経歴の持ち主である(*1)。
彼の新刊『スポーツ・クリティーク』(2026年)は、『毎日新聞』に5年間連載してきたスポーツや文化政策等の時評をまとめたものだが、そこでとり上げた問題のその後を追記したり、あるいは今も現場と直接接する実演者ならではの視点があったりと、かゆいところに手が届く一冊になっている。
例えば、解説・実況席のブースと、そこで選手の「予測不可能」な動きを前にして繰り広げられる、元選手とアナウンサーの「掛け合い」の詳解、さらに解説の際に口をついて出ることばへの注意深い省察。あるいは、オリンピックスタディーセンター(スイス)での調査で予期せず国際オリンピック委員会本部に招かれ、元アスリートとして受けた待遇とそれへの違和感など、これまでに見たことのない(そしてこれなくしては生涯ふれることのなかったであろう)情報もある。
スポーツなど高校の部活動で終わったような、しかも観戦もほとんどしない(つまりわたしのような)人間の全く与り知らなかった、行政的現状の詳細と問題点、そしてそれへの提言が平易に、そして誠実に記されている。
わたしはかつて彼と同じゼミで学んだことがあるが(彼はスポーツ科学のみならず、比較文学も同時に学んでいた)、競技者をやめてすぐの彼の関心は、アスリートの引退後のキャリアと、フィギュアスケートというジャンル複合的なスポーツ芸術の著作権の問題だったように思う。
その後の彼の仕事は、この本から存分に窺える通り、もとあったテーマが絡み合ったところにこれまでで培った経験も作用して、実演と批評、文化産業と学問、社会学と人文学、教育現場と将来そこで働く人材育成、そしてスポーツと芸術、といった具合に、しばしば越境的に、広く展開してきた。
この本からは、彼が異業界の架け橋的存在として異彩を放つ研究者だということがよく分かる。
感じながら読む身体
冒頭の人文学上の困難にとって大切なのは、その前半生で自己の身体との無言の対話を重ねてきた彼が、次の表現に論理のことばを選び、着実に成果を積んでいるという点にある。実技と研究(=その言語化)の両面を高い水準で扱える稀有な存在である彼が内面で行なう、身体と理性の対話に、わたしは強い期待を寄せている。