町田氏は本書の中で、運動中の意識について「『一歩先の未来』を見据え」るとか(p.144)、「体(今)と意識(未来)の絶妙なるズレ」(p.145)とかというかたちで言語化している。正直にいってこれについては、彼がいつも通りに誠実に記していることはよく分かりながらも、わたしにはやや物足りなく感じられた。
絵画を見て、「ゴッホの眼には世界がこのように見えていた」と語ってしまうような、批評家の僭越(ことばの上すべり)を感じたのである。もっとも町田氏の場合、この僭越は自分自身の肉体とその(無)意識に対してである。
彼にはその卓越した身体と明晰な頭脳をもっとせめぎ合わせてほしい。批評家の想像を凌駕する、身体操作のプロフェッショナルが認識した超現実のことばを読ませてほしい。ほとんど無理難題なようだが、彼からは、もっと身体と肉迫した、それでいてすっきりと明瞭な、彼にしか書けないことばがきっと出てくるはずである。
とはいえ、この書でわたしがとりわけ印象的に感じたのも、そのことが書かれているのと同じ章、彼が氷上を離れ、5年ぶりにリンクに立ってみた経験を記す「生きる身体との対話」であった。そこには、彼自身記す通り、研究者として過ごした時間に裏打ちされた思考があった。
勝負師
思うに彼の大変な活躍を支える原動力は使命感なのだろう。競技者として自分のもといた世界をより良くしなければならない。それができるトップランナーとしての自覚である。彼のあとのアスリートたちは、その幸運を感謝するだろう。
もうひとつ、彼にはそのトップランナーの立場から降りる気など、きっとさらさらないであろうことも付け加えておかねばならない。穏やかで紳士的な物腰と誠実なことばから窺える上記の使命感のみならず、彼の内面深くには、しなやかで逞しい肉体の鎧に秘めて、純粋で誇らかな野心が煌々と燃えている。
昔、彼とジャンケンゲームに参加したことがある。負けたらとても悔しそうで、無邪気に映るほどであった。つい先日会った彼の背筋は、その頃と(おそらくそれ以前、アスリートの頃とも)変わらず、ピンとまっすぐに伸びていた。競技者から研究者へと転身しても、町田樹の勝負は続いている。
(*1)博士論文の書籍化(『アーティスティックスポーツ研究序説』白水社、2020年)を皮切りに、『若きアスリートへの手紙』(山と渓谷社、2022年)、監修ムック『フィギュアスケートと音楽』(音楽之友社、2022年)、『スポーツ・クリティーク』(世界思想社、2026年)と、書籍を並べるだけでも充実した仕事ぶりがよく分かる。加えて種々の学術誌に研究論文もコンスタントに発表し、さらにプロスケーター、バレエ演者、振り付けなどの仕事も並行して行なってきた。もちろん大学での業務もこなしながらなのだからちょっと考えられないような活躍だが、気力とともに体力を備えた彼ならではの仕事ぶりといえよう。
堀江秀史(Hidefumi Horie)
静岡大学人文社会科学部教授。専門は戦後日本文化史と寺山修司、比較芸術論。編著に『ロミイの代辯 寺山修司単行本未収録作品集』(幻戯書房、2018年)、著書に『寺山修司の一九六〇年代 不可分の精神』(白水社、2020年)、『寺山修司の写真』(青土社、2020年)などがある。
