<「黒い水」のタブーを超えて、19世紀半ばから始まった120万人超の大移動がもたらした思想について。『アステイオン』103号より「カラ・パニ詩学――インド系の人々のカリブ海思想への貢献」を転載> 

2025年4月28日、トリニダード・トバゴで実施された総選挙で、統一民族会議(UNC: United National Congress)が下院の過半数議席を獲得し、与党第一党となった。これに伴い、5月1日には同党党首のカムラ・パサード=ビセッサーが首相に就任した。

彼女は2010年から2015年にも同国初の女性首相を務めており、今回が二期目の政権となる。前首相である人民国家運動(PNM: People’s National Movement)党首のキース・ロウリーがアフリカ系の男性政治家であったのに対し、パサード=ビセッサーはインド系の女性政治家である。

女性、そしてインド系の国民が首相に就任することは、カリブ海地域において象徴的な意味を持っている。

カリブ海の歴史は、1492年のクリストファー・コロンブスによる「発見」以降、西洋列強の植民地主義に翻弄されてきた。先住民であるタイノ人やアラワク人は、西洋人による強制労働や持ち込まれた疫病によってほぼ絶滅に追いやられた。

主人が消えたこの地域に、西洋の帝国はプランテーション(大規模農園)を設置し、その労働力としてアフリカから多くの奴隷を強制的に連行していった。

大英帝国は、その後約300年もの間アフリカ人奴隷たちを搾取し続けたが、1834年に奴隷解放令が施行された。そのため奴隷に代わってプランテーション経営を支える新たな労働力が必要となったのだが、そこで導入されたのが、年季奉公制だった。

この制度は、表向きは奴隷制とは異なって自発的な労働契約にもとづくとされたが、その実態は新たな奴隷制と呼べるほどの過酷な労働環境に人々を押し込めるものだった。当時、経済不況や飢餓に苦しんでいた多くのインド人が、この制度で契約に合意し、海を渡っていった。

カリブ海へのインド系の人々の移動は、1845年に年季奉公労働者225人を乗せた船がトリニダードのパリア湾に着岸したことから始まる。それから1920年までの間に、120万人ものインド系の人々がトリニダードやガイアナなどの植民地へ移送されたのだった(この政策を成功と見たオランダも大英帝国に続き、その結果スリナムなどにも多くのインド系年季奉公労働者が移住することになった)。

契約期間を終えてインドに帰っていった人々もいたが、多くはカリブ海に留まり、新たな契約を結んだり家族を呼び寄せたりして定住していった。現在カリブ海に住むインド系の人々は、この年季奉公労働者たちの子孫なのである。