インド系の人々は、アフリカ系の人々との共生の難しさに直面しながらも、かれら自身が背負うインドの文化をカリブ海社会の中で思想的に探求した。

この思想は、アフリカ系とヨーロッパ系という二項対立によってしばしば消費される「クレオール」思想に、さらなる介入をもたらし、多様な文化が複雑に絡み合うカリブ海社会のアイデンティティをより豊かに捉えることを可能にしている。

しかし、かれらが生み出してきた重要な文献へのアクセスは、日本語では非常に限られている。かれらの思想を知るうえでまず着目すべきは、「クーリチュード」である。これは、インド系モーリシャス人詩人カール・トラブリーが提唱した概念である。

「クーリー」(coolie)とは、かつてアジアからの移民に対して西洋人が用いた差別的な呼称で、奴隷制に代わる劣悪な環境下での強制労働と深く歴史的に結びついている。

アフリカ系の詩人たちが「ネグリチュード」を通じて黒人の人間性を救い出したように、トラブリーは「クーリチュード」を、インド系の人々の歴史と尊厳を捉えなおす新たな美学として提唱したのだ。

このようなインド系の人々の貢献は、「環大西洋」という言葉だけでは捉えきれない。かれらのカリブ海への移動は、三角貿易とは異なる大英帝国というより広範な枠組みの中で行われた出来事であり、その歴史は大西洋を挟んだヨーロッパ・アフリカ・アメリカ間の関係性だけでは説明しきれないのである。

西洋列強の植民地政策によってアフリカから新世界へと渡る奴隷船が通る航路が「中間航路」と呼ばれるのに対し、インドからカリブ海への移動は、「カラ・パニ」(kala pani)を渡ると表現される。このヒンディー語で「黒い水」を意味する言葉は、カリブ海のインド系の人々にとって深い響きを伴っている。

当時のインドのヒンドゥー教の文化では、海を渡ることは社会的なタブーとされていた。それは、神聖なガンジス川から永遠に離れ、信仰上の大きな喪失を意味したからである。

カースト制度においては、海を渡る行為は純粋さを損なう「穢れた」行為とみなされ、労働契約期間終了後に故郷に戻っても地位を失ってしまう可能性があった。そのような不安を抱えながら「カラ・パニ」を渡ったインド系の先祖たちの歴史は、「環大西洋」の枠の外にあったのだ。