<京都の路地で考えた、守るべき本質と新たな進化の「間」について> 

「またや、かなんわ!」。女将の京都弁の悲鳴が轟いた。「おにいさんおねえさん方、ここはお店でのうて、女性が住んでいる家どっせ。勝手に入り込んだらあきまへん」。

京都の花街のお茶屋兼置屋のお台所で世間話をしていたら、通りすがりの観光客の一行が突然、格子戸を開けて玄関先の上り框に座り込み、記念撮影する光景に出くわした。聞けば、万博帰りの京都観光で、SNSで見た花街の伝統的な建物の中をのぞいてみたかった、レストランを探して歩いていたら迷い、道を尋ねるために入り込んでしまった、という。

「そんなヤツおらへんやろ~」と関西弁でツッコミたくもなったが、そこは、観光都市としてのおもてなしの精神で、高齢の女将と一緒にこんこんとマナーを諭した。

大阪・関西万博が終わってもなお、京都にはインバウンドが集まり、このゴールデンウィークも「京の台所」の錦市場は、パビリオンか海外の屋台村かと見紛うにぎわいだった。「文明の衝突」とまでは言わないが、オーバーツーリズムと市民生活のはざまで文化理解をめぐるさまざまなせめぎ合いが続く。

取材やフィールドワークと称して国内外で他者のテリトリーにずかずか土足で入り込んできた自身を省みれば、外部から来た一部の人たちの傍若無人な振る舞いにも偉そうなことは言えず、人の振り見て我が振り直さねばとも思う。

ただ、地元民としては、祇園町などで地域の団体が、私道への立ち入りや無断撮影などの観光客の迷惑行為を禁じる高札を仕方なく増設したり、混雑や遅延が深刻化する市バスの「二重価格」導入を行政が検討したりする気持ちも分かる。

日本や日本文化のファンが世界に増えるのはうれしいことだが、文化の垣根を乗り越え、相互理解につなげるのはどうすれば良いのか。アステイオン103号の特集「発信する日本文化──伝統と可能性」を読み、一過性ではない、持続可能な文化の発信・受信、相互交流を実現していくには、時代や実践の現場に合わせた担い手づくりが重要だとあらためて認識させられた。

特集は、大阪・関西万博を機に、日本や日本文化の「現在地」を問い直す試みで、研究者を中心に、現場の実践者を巻き込み、学際的な議論が展開された。

伝統文化や食文化、音楽など多角的なテーマの論考に、タイムリーでライブ感のある対談を交え、総花的なニッポン文化論になりがちなところを、アカデミズムやジャーナリズムの世界の外にも届く、分かりやすい内容に昇華している。アステイオンを育てた劇作家の山崎正和さんやサントリー文化財団が培ってきた、さまざまな知識人や文化人が立場を超えて議論するサロン的文化によるところも大きいだろう。

特に、同志社大教授の佐伯順子さんが伝統文化の継承者に行った時宜を得たインタビューは、オーラルヒストリーとしても貴重な記録だ。