だからこそ『スーパーマン』は重要な作品になっている。ただし、それはガザの完璧な寓話だからではない。むしろ意図せずして、政治的言説の中心にある道徳的偽善をあらわにしてしまったからだ。
その違和感こそが示唆的なのだ。爆撃の下にいる子どもを目にしたとき、人々が真っ先にガザを思い浮かべてしまう。そのとき問題なのは、映画が「政治的すぎる」ことではない。現実が、無視できないほど残酷であるという事実だ。
ハリウッド映画が世界の闘争を反映してきたのは、今に始まったことではないし、これが最後でもない。ただ、今起きているのは、観客がその符号を結びつけるスピードと強度がかつてないほど高まっているという変化だ。
そして、もはや表面的に浄化された物語で真実を覆い隠されることを、誰も黙って見過ごさなくなっている。スーパーヒーローというきらびやかなスペクタクルのただ中にあっても、人々は倫理的な明瞭さを求めている。
ガンがパレスチナを描こうと意図していたかどうかは、もはや重要ではない。世界はこの映画に、ガザを見た。
その事実そのものが、ひとつの「正義」なのかもしれない。
ファイサル・クッティ(Faisal Kutty)
トロント在住の弁護士・法学教授、『トロント・スター』誌寄稿者
※本記事は筆者の見解に基づいています。
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