そうしたゆるさは、もちろんマーガリンの話だけではない。例えば年配の方のなかには、孫が保育園や幼稚園に行くことを「学校に行っている」などと表現する人がいるという。保育園も小学校も、区別なく学校と呼んでいるわけだ。

こういう話を聞くと個人的には、なんとなく穏やかな気持ちになったりもする。知り合いとの日常会話であれば、その程度でも問題はないのだから。

また食べ物についても、沖縄と内地とでは同じ料理名であってもかなり異なることがあるという。


例えば、沖縄の食堂で見られる「味噌汁」というメニューは、もはやおかずである。本土では小さな椀でご飯の横に添えられるのが一般的だと思うが、沖縄では、どんぶりに盛り付けられ、ポークや卵、豆腐やレタスなど、ボリューミーで具だくさんな料理を味噌汁という。お酒を飲んだ翌日の身体に優しいメニューとしても重宝されている。(39ページより)

著者もこうしたことばや表現の違いをしばしば本土の人たちに指摘されるというが、肝心の沖縄の人にはいまひとつピンとこないらしい。理由は簡単だ。どちらでもいいことでしかなく、なぜ細かいことにこだわるのかと不思議に感じるからである。

なお食堂に関しても、興味深いエピソードが紹介されている。


ある人気食堂では、20名ほどが入る待合室で順番を待つのだが、順番待ちの名簿などはない。そして、店員が「次の方〜」と呼びかけると、お互い目で合図を送り合い、入ってきた順番どおりにお店に入っていくのだ。待合室に入った段階で、あの人が先、あの人はあとから入ってきた、など情報を正確にインプットしているのだ。声をかけるまでもなく、そこにいる人たちがなんとなく順番を把握して秩序が保たれているわけだ。(49ページより)

相互調整力が高いからこそ、大きなトラブルにならない
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