そもそも、投資にまわす貯蓄は誰が準備してくれるのだろうか。2019年の国民生活基礎調査によれば、全世帯のうち40%は貯蓄額が500万以下で、また全世帯の20%は100万円以下だ。さらに全世帯の13%(全体の1%?)は全く貯蓄がない。仮に貯蓄が500万円あったとしても、若年層であればそれは車や住宅の購入資金だったり、子供の教育資金だったりするので、リスクをとった運用はできない。

つまり、いくら政府が資産運用を奨励したとしても、多くの世帯では投資のための種銭を確保できない。仮にささやかな額を投資に回すことができたとしても、高いリスクを取らない限り、老後に必要だとされる2000万には到底満たない額しか増やすことはできないのだ。

その間にも、富裕層は潤沢な自己資金を元手に資産を増やしていく。コロナ禍において、日本人の金融資産の総量は増加したが、資産を増やしたのは元々の富裕層で、金融資産をほとんど持っていなかった層は貯金を取り崩し、むしろ資産を減らしていたことが分かっている。

「資産倍増プラン」といっても、元々資産を持っていなかった層は、それが倍増したところでたかが知れている。一方、既に資産を持っている者はますます資産を太らせることになる。格差社会はさらに拡大するのだ。

投資の奨励は労働者を分断する

さらに「資産倍増プラン」は、実体経済における格差の縮小についても悪影響を与えるだろう。なぜなら、「貯蓄から投資へ」のスローガンによって労働者に投資を促すことは、労働者に労働者の利害だけでなく、投資家の利害も考慮することを強いるからだ。投資家と労働者の利害は常に一致するというわけではなく、多くの場合は対立する。たとえば労働分配率の問題がそうだ。ある会社の利益を労働者にまわすのか、投資家にまわすのか。今世紀の日本では、労働者の給与上昇に比べて役員報酬や株主への配当の伸びが著しかった。

それに対して労働者が経営者に断固たる姿勢で賃上げを要求するためには、労働者の団結が欠かせない。ところが誰もが多かれ少なかれ投資を行なっている社会は、資本家とはいえないような人の精神までも資本主義の論理に染め上げてしまう。そうなれば、ある労働者が自身のささやかな投資のために他の労働者の給与上昇に敵対するという可能性も生じるのだ。

西ローマ帝国も「自助」に頼ったが
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