だが、冷静に考えれば、「挨拶しよう」「正直であろう」── もし日本の大相撲がこれらの価値観を大切にするのだとして、そのためにわざわざ「日本」という概念を持ち出し、国家や民族、人種的なイメージと無理やり結び付ける必要は全くない。

どんな出自であれ、大相撲の力士は「十の心」を大切にしようなどと言えば、それで十分だからだ。

結局、外国出身力士に対して「日本」や「日本文化」という不透明な基準をあえて持ち出すのは、そのブラックボックスをてこにして、協会にとって都合のいい力士とそうでない力士を選別し、後者を「脱大相撲」させ得る力を留保すべきという姿勢が根本にあるからではないか。

今日は「入日本」だと褒められても、明日は「脱日本」だとけなされ得る。本質は評価をする側とされる側の固定化だ。だがその区別に「自然な」理由などない。

線引きに伴う政治性が不可視化したとき、固定化は成功する。不自然さが直視されれば、線引きは揺れ動く。

<2021年4月27日号掲載>

【関連記事】
ニューズウィーク日本版 台湾有事の新シナリオ
2026年4月21号(4月14日発売)は「台湾有事の新シナリオ」特集。

米・イラン戦争で変わる地域紛争の「大前提」/石油危機を恐れるべき理由

※バックナンバーが読み放題となる 定期購読はこちら
※画像をクリックするとアマゾンに飛びます