現代において、イスラム教徒がコーランの教えを文字通り実行するわけではないのは、キリスト教徒が聖書の規定通りに行動しないのと同じである。ただし、ISやアルカイダは、イスラムの教えを文字通り、厳格に実施し、過激に戦闘的に行動することに特徴がある。テロに関わった者たちを犯罪として捜査、摘発し、裁くことは社会の安全を守るためには重要である。しかし、テロの不当性を説くことで、若者がイスラムを掲げる過激思想に入らないようにする社会的な対応が必要となる。

 今回、イスラム過激派がダッカでの高級住宅地にあるレストランを襲撃したことは、国民一人当たりの名目GDPが13万円前後で、国民の3割が貧困層という国で、イスラムが社会悪と考える「富の寡占」と「貧困の蔓延」への敵意を読み取ることができる。コーランでは富は神の所有とし、「富裕者の間だけにわたらないように」として、「孤児、貧者」に対しても与えるように記されている。

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 今回の事件について「日本人が標的にされた」ととらえるのではなく、バングラデシュの貧困をなくすために支援に来ていた善意の日本人が犠牲になったことで、過激な行動の不当性を、日本の立場から訴える必要がある。それによって、若者たちがISに参入し、テロに向かうことを押しとどめることができるはずだ。

 今回のダッカ事件ではISが犯行声明を出し、その影響力の広がりを示した。しかし私は、ISが直接指令し、現地の若者と連絡をとりあってテロを実施した可能性は極めて低いと見ている。声明文にはニュースで流れている以上の事実はないからである。「22人を殺害した」としながらも、イタリア人にしか触れていないのは、単に日本人の死者の確認が遅れてニュースに出なかったため、声明に入らなかったと考えるべきだろう。事件発生から治安部隊が突入するまでに10時間以上あり、実行犯らがISと何らかの連絡をとっているなら、人質に日本人がいることは伝わったはずであり、ISもそれを隠す理由はないからである。

 しかし、実行犯の若者たちがISに影響されていたことは疑いない。親日的なバングラデシュで一部の若者たちの間に、ISに影響され、日本人を冷血に殺害する事件が起きたことが重大である。日本として対応すべき問題は、日本人が殺されたことの不当性を、日本が戦後、実践してきた平和主義とともに主張することであろう。バングラデシュの支援事業のために来ている日本人がイスラム過激派のテロの犠牲になったことについて、現地の若者や宗教者に訴えるような試みを行うべきではないだろうか。それが「私は日本人だ」と訴えた犠牲者の思いを受け継ぐことになるはずだ。