「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Diaries』論争に欠けている「本当の問題」

DOCUMENTARY FILMMAKERS ARE RUTHLESS

2025年3月3日(月)14時31分
森 達也(映画監督、作家)
2024年チューリヒ映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を獲得し、伊藤詩織監督のドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』が表彰される様子

本作は海外で公開され、多数の映画祭に出品されている(最優秀ドキュメンタリー賞と観客賞を獲得した昨年10月のチューリヒ映画祭で) ANDREAS RENTZ/GETTY IMAGES FOR ZFF

<アカデミー賞にもノミネート。映像や音声を無断使用したと問題になっている伊藤氏のドキュメンタリーだが、擁護する人も批判する人もドキュメンタリーの本質を分かっていない?──オウム信者を追った映画『A』で知られる映画監督・森達也が指摘する「本当の問題」とは>

『Black Box Diaries』オフィシャルトレーラー



僕の記憶では、五階はこれまで一度もマスコミに公開されていないはずだ。信者たちが事務机やロッカーを運ぶのを横目に、「正大師・尊師専用」と表示されたバスルームを撮る。浴室の隅に「尊師専用」とマジックで書かれたシャンプーを発見して、思わずレンズを近づける。ズームの角度やテンポを変えながら何パターンか撮影をくりかえすうちに、「尊師専用」の単語に小躍りして撮る自分の姿そのものが意識の裡ではいつのまにか被写体になっていて、説明しがたい虚しさに近い感覚が胸いっぱいに広がっていた。


──「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』(森達也、角川書店)

◇ ◇ ◇



地下鉄サリン事件が起きてメディアがオウム真理教一色になっていた1995年、僕は施設内で暮らすオウムの現役信者たちのドキュメンタリーを企てて、フジテレビで放送することも決定し、およそ半年後にオウム施設内で撮影を始めた。

でもロケが始まって早々に、それまでのラッシュ(撮影素材)を見たフジテレビ上層部と所属していた制作会社幹部は撮影中止を決定した。

ならばENG(ロケクルー)を発注することはもうできない。やむなく僕はHi8(ハイエイト)やデジタルカメラなどハンディーなカメラを手にオウム施設に1人で通い撮影を続け、3回目か4回目のロケで麻原彰晃専用のバスルームを見つけた。

冒頭に引用したのはそのときの記述だ。それまでのロケでは、映像はカメラマンが撮ることが前提だった。でも今は1人だ。麻原専用のシャンプー(この時代にはこれだけでスクープだった)を見つけて撮りながら、カメラワークとは主観そのものであることに気が付いた。

感情表現でもあるズームやパンなど技巧を駆使しながら、周囲から自分が選んだフレームで現実を切り取る。さらに編集作業では、撮ったラッシュをチェックしながら、どれを捨ててどれを残すのか、どのカットとどのカットを組み合わせてどのようなモンタージュの効果を狙うのか、などと考える。

これらは全て、極めて主観的な作業だ。判断の基準は正しいか正しくないかではない。自分の思いや感覚が判断の主体なのだ。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

パウエル氏利下げ拒否なら理事会が主導権を、トランプ

ビジネス

米雇用、7月+7.3万人で予想下回る 前月は大幅下

ビジネス

訂正-ダイムラー・トラック、米関税で数億ユーロの損

ビジネス

トランプ政権、肥満治療薬を試験的に公的医療保険の対
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ関税15%の衝撃
特集:トランプ関税15%の衝撃
2025年8月 5日号(7/29発売)

例外的に低い日本への税率は同盟国への配慮か、ディールの罠か

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本人の児童買春ツアーに外務省が異例の警告
  • 2
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅で簡単にできる3つのリハビリ法
  • 3
    12歳の娘の「初潮パーティー」を阻止した父親の投稿がSNSで話題に、母親は嫌がる娘を「無視」して強行
  • 4
    いま玄関に「最悪の来訪者」が...ドアベルカメラから…
  • 5
    枕元に響く「不気味な咀嚼音...」飛び起きた女性が目…
  • 6
    カムチャツカも東日本もスマトラ島沖も──史上最大級…
  • 7
    一帯に轟く爆発音...空を横切り、ロシア重要施設に突…
  • 8
    【クイズ】1位は韓国...世界で2番目に「出生率が低い…
  • 9
    【クイズ】2010~20年にかけて、キリスト教徒が「多…
  • 10
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベー…
  • 1
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅で簡単にできる3つのリハビリ法
  • 2
    幸せホルモン「セロトニン」があなたを変える──4つの習慣で脳が目覚める「セロ活」生活のすすめ
  • 3
    囚人はなぜ筋肉質なのか?...「シックスパック」は夜つくられる
  • 4
    いきなり目の前にヒグマが現れたら、何をすべき? 経…
  • 5
    航空機パイロットはなぜ乗員乗客を道連れに「無理心…
  • 6
    中国が強行する「人類史上最大」ダム建設...生態系や…
  • 7
    日本人の児童買春ツアーに外務省が異例の警告
  • 8
    12歳の娘の「初潮パーティー」を阻止した父親の投稿…
  • 9
    いま玄関に「最悪の来訪者」が...ドアベルカメラから…
  • 10
    枕元に響く「不気味な咀嚼音...」飛び起きた女性が目…
  • 1
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 2
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅で簡単にできる3つのリハビリ法
  • 3
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が話題に
  • 4
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 5
    幸せホルモン「セロトニン」があなたを変える──4つの…
  • 6
    囚人はなぜ筋肉質なのか?...「シックスパック」は夜…
  • 7
    「細身パンツ」はもう古い...メンズファッションは…
  • 8
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップ…
  • 9
    ロシアの労働人口減少問題は、「お手上げ状態」と人…
  • 10
    いきなり目の前にヒグマが現れたら、何をすべき? 経…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中