<コーカサス地方のジョージアで農村風景を撮るベテラン写真家、ナテラ・グリガラシュヴィリ。どこか懐かしさを感じるが、ロマンチック性だけが理由ではない>
彼女の写真を見ていると、懐かしい日本の風景を思い出す。場所も気候も大きく違うのに、子供の頃、お盆や正月に訪れていた父方母方それぞれの実家の地方の原風景と重なるのである。
それは、たとえ都会育ちの人でも、あるいは牧歌的な心象風景だとしても、ある種誰もが田舎に対して持っている素朴なイメージだ。
今回紹介するのは、そんな山間や農村の風景を、かつてソ連の一部であったコーカサス地方のジョージアでライフワークとして切り取っている写真家である。同国のドキュメンタリー・フォトジャーナリズムの第一人者の1人で、90年代からすでに海外でも名が知られている。現在52歳、ベテランのナテラ・グリガラシュヴィリだ。
白黒、カラーを問わず、おとぎの国の世界のような作品に貫かれているテーマは、ジョージアの田舎で暮らす人々の自然への讃歌である。あるいは、そうした人々と自然との親密な相互関係だ。
意図的にしろ無意識にしろ、我々はそうした自然との相互作用を通して、内面的な安らぎや平和を見出せるとグリガラシュヴィリは言う。同時にそれは、彼女がジョージアの田舎に惹かれ続ける大きな理由にもなっている。写真家であると同時に、コーカサスの素朴な村と自然を愛しているのである。
押し付けがましさや独りよがりな主張は、作品からはまず感じられない。1つには、光と構図がファインダーの中で巧みに操られているためだ。子供時代、グリガラシュヴィリは絵を描き、大きくなってからは映画に没頭し、とりわけドキュメンタリーフィルムに憧れた。ソ連時代に写真技術を習得して最初に得た仕事は、映像技師だった。
だが、押し付けがましさがない本当の理由は、彼女のアイデンティティーにあるのかもしれない。グリガラシュヴィリ自身、ジョージアの小さな村で生まれ育った1人なのである。だからこそ、日常の中の、それでいて極めて魅惑的な瞬間を本能的に分かっているのだろう。