今ではこうした匂いが僕の生活の大きな部分を占めているだけに、その匂いをうまく表現できないのは皮肉なことだ。この現象が起こる時、僕はある種の「嗅覚の世界にいる」ようなもの。その際には匂いを感じることが最重要の出来事になり、僕の感覚を支配する。言うなれば、大画面の前に座って、4Kの実力を見せつけるために作られた色鮮やかな映像を見ているようなものだ。

僕の感じるせっけんの香りはバニラに少し似ているが、洗練されていてより複雑だ。これをボトルに詰められたら販売できるんじゃないかと時々思ったりする。

このことをいま書こうと思ったきっかけの1つは、まさにいま僕が変化の時を迎えているから。新たな2つの匂いが出現しているようなのだ。1つは夜に現れて、そのせいで目を覚ましてしまうこともある。

不愉快な気分になりそうなものだが、奇妙なことに、逆だ。言葉で言えば「安心できる」という感じ。奇妙に聞こえたら申し訳ないが、例えるならその匂いは、自分らしい匂いがし始めているから今日は着たけど明日はもう着ないほうがいい着心地のいいTシャツ、というたぐいのもの。

この場合も、実際に僕のパジャマや枕カバーの匂いではないかと徹底的に「確認」したが、翌朝しっかりと嗅いでも同じ結果にはならなかった。確かに夜中に目を覚ますほどの強力な匂いには至らなかった。

もう1つの新しい匂いは、タバスコソースに似たものだ。ちょっと辛めで激しい感じ。僕は、料理がやや薄味な時にたまにタバスコを使うことがある。でも頻繁に使うわけでもないし大好きなわけでもないので、今やこの匂いが僕の生活の大きな部分になっているのはおかしな感じだ。

「治したいか」と問われると...

最近、神経学的に普通とは異なる人々について取り上げたラジオ番組を聞いていた。具体的に言うと、頭の中で物事のイメージを思い描けない人たちだ。彼らは例えば、レモンとはどういう姿か頭の中でイメージを呼び起こすことができない。そのため彼らは、例えばトラック運転手ごっこをするなどして子供の遊びに付き合うことも苦手だ。

また、彼らは眠れない夜をやり過ごすために好きな人の顔を思い浮かべる、ということもできないとの話も出た。そのため、この症状を抱える人々は特に写真を好むのだという。

最後に一番興味深かったのは、ある医師によると、こうした人々は症状を「治したいか」と尋ねられると、1日だけ「普通の人になる」経験もしてみたい......それがどんなふうか見てみたいから、と答えることが多いらしい。そして、一度体験したらその後はいつもの自分に戻りたいのだという。

それを聞いて僕は、自分の奇妙な部分をなくしてしまいたくはないと思った。僕はそこにない匂いを感じており、それが僕自身の一部でもあるのだから。

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