<ロシアによるウクライナ侵攻から12月20日で300日になった。これは世界を永遠に変えてしまった300日の記録だ>

ウラジーミル・プーチン大統領がウクライナに仕掛けた戦争は、ヨーロッパおよびその外の地域の政治、軍事、経済の地図を塗り替え、ヨーロッパ大陸を第二次大戦以来最も深い危機へと突き落とす歴史的な転換点になった。

300日の戦いのなかで、本誌は戦況を方向づけた注目すべき出来事を選んだ。

2月24日 侵攻開始「サンダーラン」作戦

ロシア軍の機甲部隊は「サンダーラン」と呼ばれる侵攻作戦を開始し、ベラルーシから南へ侵攻した。だがキーウ北部の湿地帯や森林で激しい抵抗に遭って動きがとれなくなり、キーウまでたどり着くことができなかった。

ロシア軍はヘリコプターでキーウ州ホストーメリ市のアントノフ空港を攻撃したが、キーウへの最終攻撃の足場にするつもりだった同飛行場の占領に失敗した。ロシア軍部隊は南部と東部で大きな成果を上げたが、このキーウ周辺での最初の失敗が北部で戦う部隊の運命を変え、4月にはベラルーシに後退するしかなかった。

4月3日:キーウ近郊の大量虐殺

ロシア軍が撤退した4月上旬、再びキーウ周辺地域に入ったウクライナ軍は、大規模かつ計算された残虐行為の証拠を発見した。証拠は多いが、ロシア政府はいまだに残虐行為を否定している。特にイルピンとブチャは、ロシアの暴力の代名詞となり、ウクライナ検察当局は戦争犯罪と大量虐殺に相当すると指摘した。

6週間の占領期間中、キーウ全域で1300人以上が殺害された。その大半はブチャで、いまだに犠牲者の墓が発見されている。同様の失踪、拷問、レイプ、殺人といった事例は、2022年を通じて解放された地域全体で発見されるだろう。

4月13日:アメリカ供与の大砲

バイデンは4月中旬、ウクライナに対してさらに8億ドルの軍事支援を承認した。この支援には、アメリカ製長距離榴弾砲M777の供与が含まれており、一部のウクライナ軍兵士は、これが後にドンバスでの戦争の行方を変えたと語っている。

供与が予定された90門のM777の大半は、5月までにウクライナに到着した。西側諸国の技術の粋を集めたM777の提供は、ウクライナ政府が砲兵支援を求める転機となり、他のNATO加盟国にも重砲の派遣を容認するシグナルとなった。

西側の大砲のおかげでウクライナは夏の砲撃戦を乗り切ることができた。その後すぐに「ゲームチェンジャー」といわれるM142高機動ロケット砲システム「ハイマース」が導入された。