「ちゃんとした大人」とは?
シェーンの言い分は、ディズニーのパークは親たちのための場所であり、子どももいないのにやって来る大人には何か問題がある、というものだ。
言いたいことはわかる。だが、それなら聞きたい。ほかにどう過ごせば「ちゃんとした大人」なのだろう。土曜日にはバーへ行けばいいのか。野球を見に行けばいいのか。
ドジャースのユニフォームを上から下まで身につけた成人男性を見て、「家に帰って大人になれ」と言う人はいない。
もちろん、そういうものが好きなら、それはそれで素晴らしい。単に私の趣味ではないだけだ。
私は別に、退屈な大人の娯楽を批判するエッセイを書こうとは思わない。まあ、ゴルフについて語り始めたら話は別だが。
好きなら好きでいい。私はそれを喜ばしく思う。
私の場合はたまたま、おいしいものを食べること、楽しい乗り物に乗ること、そして誰かが人生最高の一日を過ごしている姿を見ることが好きなのである。
ディズニー・アダルトを批判する人たちが見落としがちなのが、この最後の部分である。
楽しさの大きな部分を占めているのは、子どもたちなのだ。
まるで何年も会っていなかった親戚に再会したかのように、ミッキーめがけて全力で走っていく幼児。溶けきる前に食べようと、アイスクリームと競争している子ども。全身プリンセスの衣装に身を包み、ファンタジーランドを堂々と歩いている小さな子。
そういう姿を見て楽しむために、私がその子たちの親である必要があるだろうか。
私はそうは思わない。喜びを感じられる相手は、血のつながった家族だけではない。
ディズニーで迷惑な大人はもちろんいる。そして確かに、その中には子どもを連れていない大人もいる。
だが、シェーンが無条件でおとがめなしにした親たちの中にだって、迷惑な人間はいくらでもいる。
どんなファンダムにも困った人はいる。それだけで、全員がろくでもない人間になるわけではない。