<日本における漢字文化は案外しぶとい? 変わり続ける日本語、その強さと未来について>
<論壇誌『アステイオン』104号の特集「漢字・漢語・漢文──文明から考える」をテーマに行われた上野誠・國學院大學文学部日本文学科教授、齋藤希史・東京大学大学院人文社会系研究科教授、𠮷岡桂子・朝日新聞コラムニスト/編集委員、今野真二・清泉女子大学教授、加賀野井秀一・中央大学名誉教授と岡本隆司・早稲田大学教育・総合科学学術院教授による座談会より。本編は後編。>
※前編:日本語から漢字はなくなるのか?…AI時代に考える「漢字廃止論」 から続く
岡本 日本にはもともと文字がありませんでした。そこに中国から非常に複雑な文字体系が入ってきました。日本語学者の今野真二先生に「漢字と日本語」を今回ご寄稿いただきましたが、そもそも日本語にとって漢字とは何なのでしょうか。今野先生からもご意見をいただけますでしょうか。
今野 私は日本語の歴史と、日本語がどのように書かれるか(文字化)の問題を長らく研究していますが、日本語の歴史のなかで絶対に変わっていないことが1つあります。それは、漢字を使って日本語を文字化していることです。
9世紀後半に仮名が生まれたので、理屈の上では表音文字である仮名だけで、太安万侶のような苦労もなく日本語の文字化を済ますことも可能でした。それでも日本語は漢字を捨てませんでした。
結局日本語は仮名を獲得して、表意文字と表音文字を併用するという、世界であまり多くはないことをしています。私は日本語を表している漢字は表意文字、中国語のそれは表語文字と区別する立場ですが、表音と表意を組み合わせて日本語を文字化するシステムが非常に複雑で、それを今まで維持してきたことに1つのポイントがあると思います。
先ほど金先生が仰った通り、何も考えていないうちに言葉が変わることはありますが、これまでの日本語の歴史を考えると、漢字がなくなるという梅棹先生の予言には、私はなかなか一票を投じにくいところがあります。

岡本 漢字で文字化することに意味があるというのはとても説得的な話です。これは漢語や外来語とどうかかわるでしょうか。
今野 これまでの議論では漢字と漢語が一体となっているように感じましたが、私は分けて考える必要があると思います。「漢字」は文字であり、「漢語」は言葉だからです。同じように「カタカナを使うこと」と「外来語を使うこと」も本来は別の問題です。
日本語の中で借用語として漢語を使い続けるかどうか。これは英語の外来語を使うかどうかとも関係します。カタカナを使い過ぎだという議論も、カタカナ語は氾濫して分かりにくいから、外来語を和語でやれという話ですよね。それをカタカナの氾濫と呼ぶと、文字と文字によって表されている言語が一体化しているように見えてしまいます。
ただ、日本語では文字と言語を簡単には切り離せません。とりわけ漢字は、単なる表記手段を超えて日本語そのものに深く入り込んできました。漢字と漢語をいったん分けた上で、漢字による文字化が日本語をどう形づくってきたのかを考えることも重要だと思います。
岡本 漢字による文字化と、漢語を使うことを分けて考えるというご指摘は非常に重要だと思います。一方、漢字の受容は中国文明や外来文化をどう取り入れ、翻訳するかという問題とも深く関わってきました。船山徹先生に「仏典と漢訳」をご寄稿いただきましたが、仏典の漢訳や仏教語の浸透もその一例です。
こうした歴史を踏まえ、現在の日本語や漢字のあり方をどう捉えるのか。私たちのように漢字を使っている専門からはかえって分かりにくい側面もあるでしょうから、「日本語の光と影──和語・漢語・カタカナ語をめぐって」をお寄せいただいた加賀野井秀一先生にも、ぜひ西洋研究者のお立場からお話を伺いたいと思います。