<漢字の「賞味期限」は切れるのか? 「漢字文化圏」の現在地について>
論壇誌『アステイオン』104号の特集「漢字・漢語・漢文──文明から考える」をテーマに行われた上野誠・國學院大學文学部日本文学科教授、齋藤希史・東京大学大学院人文社会系研究科教授、𠮷岡桂子・朝日新聞コラムニスト/編集委員、金文京・京都大学名誉教授、フフバートル・昭和女子大学国際文化研究所特任教授と岡本隆司・早稲田大学教育・総合科学学術院教授による座談会より。本編は前編。
岡本 私は中国の歴史が専門です。史料は漢字で書いてあるので、漢字のことを考えている毎日です。
ただ、漢字「を」考えるだけでなく、ふと気がつくと、漢字「で」考えている、というのもまた日常です。日本語は漢字が混じっている言語なので、漢字でできた考えや言葉も多く、いわば漢字のことを漢字で考えています。
日本語はそれほど深く漢字と結びついている一方で、グローバル化やデジタル化が進み、日本語を取り巻く環境も大きく変わっています。そこで漢字について文脈を広げて改めて考えてみたいと思い、『アステイオン』104号の特集「漢字・漢語・漢文──文明から考える」を企画しました。
早速ですが、「漢詩文というメディア──近代東アジアの言説空間」をお寄せいただいた齋藤希史先生に、ご寄稿者の立場から本特集についてご感想をいただけますでしょうか。

齋藤 今回の特集のタイトル「漢字・漢語・漢文」を見た時、私の専門から足りないものがあるように思いました。「漢詩」です。
英語では「英詩・英文」とは言いませんが、私たちは「漢詩・漢文」と言います。つまり漢字と詩とは非常に近しい存在で、韻文は漢字世界の中で大切なものです。
中国でも日本でもそうですが、江戸時代から明治時代の日本では、漢文は書けないけど漢詩は詠めるという人のほうが多かったのではないでしょうか。あるいは漢詩なら諳んじているとか。
岡本 頂門の一針ですね。私は韻文、詩文というのができなくて、仕方なく歴史学者になったようなものです。
齋藤 明治になって漢詩が流行ったのは不思議な現象だと言われますが、よく考えるとそうでもない。なぜなら、漢詩はもともと社交の道具で、社交の範囲が広がっているからです。
1871年に清国との国交が開かれ、人の往来が増えました。流通が増え、商売も盛んになる。当然、日本でも中国でも出版事業が盛んになります。漢詩の販路も増えるわけです。
単に明治期に江戸時代の蓄積が爆発して漢詩文が流行ったのではなくて、東アジアという新たな世界が開けた、と言ったほうが適切でしょう。漢詩は東アジアをバックグラウンドにした社交のメディアだった。
特集の論考を読んでも、やはりみなさんの思考が開かれている。考える要素の中に漢字を入れると、どうしても開いていかざるを得ないと思いますね。日本語を考える上でも、漢字を1つ入れるだけで、世界が広がっていく──そのぐらい言ってもいいと思います。
岡本 詩文と韻文を含めた漢字の広がりと聞くと、日本の歴史世界が、いかに漢字に規定されているかを考えなければなりませんね。
それでは、万葉学を専門とされ、万葉仮名という漢字の問題にも深く関わってこられた上野誠先生に、アカデミアの立場から今回の特集について、ご感想をいただければと思います。