アステイオン・トーク

             左より岡本隆司氏、齋藤希史氏、上野誠氏、𠮷岡桂子氏

岡本 モンゴル語の中に漢字・漢語が入っているのには私も──私の場合は歴史資料だけですが──感銘を受けたことがあります。その中に和製漢語もあったのですね。

モンゴル語から見ると、漢字文化圏の境界は思っている以上に広い。そう考えると、漢字文化の広がりは、いわゆる「漢字圏」だけでは捉えきれないのかもしれません。

フフバートル 私はかつて中国の吉林大学で日本語を専門としていましたが、教室では日本の漢語なら中国のもの、日本が中国から漢字を借りたのがいつ頃かという話になるだけで、和製の漢語という概念はなかなか認められませんでした。やはり、漢語、漢字を誰のものと見るかは国の情勢とアイデンティティの深くかかわる問題になります。

中国は経済力と教育力の向上に連れて簡体字の識字が普及しました。現在の中国人の考え・感覚では、繁体字はもう海外のものです。

一方台湾は、中国の伝統文化を保った形という意味で、自分の文字を正字と言い、簡体字を共産党が進めてその伝統を破壊したものとみています。海外の反体制派も基本的に繁体字ですね。

もう1つ大きな転換点は、ワープロで漢字を処理できるようになったことです。手で書かなくても、どの字形でも簡単に出力できるので、海外の華人、特に香港の影響で繁体字はかっこいいと、一時期大陸にも人気が出ます。

これからも、アイデンティティを表現するものとして漢字を評価する傾向が出てくるかもしれません。

岡本 今言及いただいた香港や海外の華人、そして繁体字と正字の話は、特集で言うと飯田真紀先生の論考「世界の広東語──漢語のグローバリゼーション」とかかわる問題でしょう。飯田先生の広東語のお話は、英語やグローバル化とも結びつきながら、漢字文化が国境を越えて展開してきたことを示しています。

日本では漢字が今後減っていくのではないかという議論もありました。一方で、視野を広げれば、漢字そのものだけでなく、漢語やそこから派生した言葉はさまざまな言語の中に生き続けている。デジタル化やAIが進むなか、漢字・漢語の文化圏、さらには文明圏をこれからどう捉えていくのか。改めて考える必要があると感じました。

構成:テイバー・ジェイムソン(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)

※後編:日本語という「OS」の未来…100年後も漢字は残っているのか?  に続く

 

上野 誠(Makoto Ueno)
國學院大學文学部日本文学科教授[特別専任]。1960年、福岡県生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。奈良大学名誉教授。博士(文学)。専門は万葉集、万葉文化論。著書に『古代日本の文芸空間』(雄山閣出版)、『魂の古代学──問いつづける折口信夫』(新潮選書)、『万葉挽歌のこころ──夢と死の古代学』(角川学芸出版)、『折口信夫的思考―越境する民俗学者』(青土社)、『万葉文化論』(ミネルヴァ書房)など多数。モットーは「体感する万葉」。

岡本隆司(Takashi Okamoto)
早稲田大学教育・総合科学学術院教授、アステイオン編集委員。1965年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。宮崎大学教育学部講師、同教育文化学部助教授、京都府立大学文学部教授などを経て、現職。京都府立大学名誉教授。専門は東洋史・近代アジア史。2025年、紫綬褒章受章。著書に『世界史序説』(筑摩書房)、『属国と自主のあいだ』(名古屋大学出版会、サントリー学芸賞)、『物語江南の歴史──もうひとつの中国史』『二十四史──『史記』に始まる中国の正史』(ともに中公新書)など多数。

齋藤希史(Mareshi Saito)
東京大学大学院人文社会系研究科教授。1963年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程中退(中国語学中国文学)。京都大学人文科学研究所助手、奈良女子大学文学部助教授、国文学研究資料館文献資料部助教授などを経て、現職。著書に『漢文脈の近代──清末=明治の文学圏』(名古屋大学出版会、サントリー学芸賞)、『漢文スタイル』(羽鳥書店、やまなし文学賞)、『漢詩の扉』(角川選書)、『漢文脈と近代日本』(角川ソフィア文庫)など。

𠮷岡桂子(Keiko Yoshioka)
朝日新聞コラムニスト 編集委員。岡山県生まれ。山陽放送アナウンサーから、1989年に朝日新聞記者に転じる。中国や日中関係を主に取材している。朝刊コラム「日曜に想う」の筆者のひとり。対外経済貿易大学(北京)で中国語研修後、上海特派員、北京特派員として、中国に通算8年間駐在。その後、2020年秋まで3年半にわたり、バンコク拠点の編集委員として、中国と東南アジアの関係を取材。24年夏までの1年間は、ブダペスト・コルヴィヌス大学客員研究員として中国と欧州との関係を調査した。著書に『鉄道と愛国 中国・アジア3万キロを列車で旅して考えた』(岩波書店)『人民元の興亡 毛沢東・鄧小平・習近平が見た夢』(小学館)など。

金 文京(Bunkyo Kin)
京都大学名誉教授。1952年生まれ。京都大学大学院文学研究科中国文学語学専攻博士課程修了。慶應義塾大学助教授、京都大学教授、鶴見大学教授を歴任。専門は中国古典文学。著書に『三国志演義の世界』(東方書店)、『三国志の世界』(講談社)、『漢文と東アジア──訓読の文化圏』(岩波書店)などがある。

フフバートル(Huhbator)
昭和女子大学国際文化研究所特任教授。1958年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程満期退学、博士(社会学)。昭和女子大学人間社会学部教授を経て現職。専攻はモンゴル学、社会言語学。主な著書に『モンゴル語基礎文法』 (インターブックス)、『モンゴル語近代語彙登場の母体──『蒙話報』誌研究』(青山社)など。

 

『アステイオン104』

 公益財団サントリー文化財団 ・アステイオン編集委員会[編]

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