死に方はただの成り行きでしかない
それは、身内の人間をなにか理不尽な死に方で亡くした場合についても言えるだろう。このように考えることができれば、自分や身内の死を客観的に受け入れることができるかもしれない。
さらに言えば重要なポイントは、それが「死に方」でしかないということである。「死に方」で分類すると4つであり、「死」そのもので考えるなら1つしかないのだ。
これは、シンプルな表現に置き換えることができるだろう。「生きている者は、必ず死ぬ」と。
それを受け入れることができれば、死に方はただの成り行きでしかなくなるに違いない。
じじつ、成り行きでしかあり得ないのである。四つの死に方のうち、自ら選べるのは自殺だけだという事実について、改めて考えてみたい。あとの三つ、他殺と病死と事故死とは、自ら選べるものではない。自分の意志ではないのである。死ぬという人生における最重要事が、自分の意志ではないのなら、人生を生きるということ自体、どうして自分の意志なんかであるものか。(151〜152ページより)
絶対的な事実は、生死することにおいて、人は完全に平等だということだ。別な表現を用いるならば、「生きている者は必ず死ぬ」のである。だからこそ私たちは、敢えてそのことを客観的に捉え直してみるべきなのかもしれない。
そして、それが本書のタイトルにも引用されている以下の記述につながっていく。
癌だから死ぬのではない。生まれたから死ぬのである。癌も心不全も脳卒中も、死の条件であっても、死の原因ではない。すべての人間の死因は、生まれたことである。どこか違いますかね。(181〜182ページより)
著者は2007年2月23日に、癌のため他界している。上記の文章は2006年9月7日に発表されたものだというので(『人間自身 考えることに終わりなく』に収録』)、死のおよそ半年前に書かれたことになる。
そう考えるとなおさら感じるものがあるし、彼女が考えていたことを、私たちも自分の問題として考えてみるべきではないかと思う。
[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。他に、ライフハッカー[日本版]、東洋経済オンライン、サライ.jpなどで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)、『この世界の中心は、中央線なのかもしれない。』(辰巳出版)など著作多数。2020年6月、日本一ネットにより「書評執筆本数日本一」に認定された。
エヴァンゲリオンから聖闘士星矢、クレヨンしんちゃんまで、世界が愛する作品を各国筆者が一挙紹介
