個人的な話なので詳細は省くが、1年半ほど前に怪我をして緊急入院した。集中治療室に入れられたものの実感はなく、「明日になったら帰れますよね?」などと能天気な発言をして医師を困らせたりもしたが(バカである)、冷静に考えれば死んでいたかもしれない出来事だった。

「重傷です」とか、「後遺症がないのが奇跡的です」などと言われた。

私は9歳のとき、似たような事故で生死のふちを彷徨った(20日間も意識不明)経験があるので、二度死にかけたことになる。「いい加減、学習しろよ」という感じだが、今回はちょっとした変化もあった。

「なるほど、これが“生かされている”ということか」と感じたのである。

“生かされている”というフレーズを耳にするたび、「いやいや、自分で生きてますから」と反論したくなる屈折しまくった性格の持ち主にとって、これは大きな変化だった。

あれ以来、死についてさらに深く考えるようになった気もする。だから『すべての人の死因は生まれたことである』(池田晶子・著、新潮新書)にも、いろいろな意味で共感したのだった。

『すべての人の死因は生まれたことである』

著者の池田晶子は、文章に大きな魅力のある文筆家。“哲学するとはどういうことかを日常の言葉で語る”というアプローチにも説得力があり、著作を読むたびに「ああ、そうだよなあ」と共感することが多い。

本書は、週刊新潮での連載「死に方上手」(のち「人間自身」と改題)をもとにした4冊の単行本の中から、“生老病死”に関する文章を抜粋して再構成し、今年7月に刊行されたもの。

つまり、死に関する記述が必然的に多くなっているわけだが、その手の話題にありがちな悲壮感やネガティブなアプローチとは無縁。哲学的な観点から本質を見つめており、しかもそうして得た思いを平易に表現しているため、一般的な哲学書にありがちな難しさとは一線を画している。

「死ねば楽になる」は本当なのか
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