全国レベルでは、アメリカの数学リテラシーの平均値は低いままなのですが、東海岸や西海岸など教育熱心な地域では、数学の学習は、年々難度を高めていっています。一方で、日本では「ゆとり」の見直しが進んだはずなのですが、完全に戻ったわけではないという中で、日米の逆転が進んでいるのです。

そんな中で、日米の間を行き来する子どもたちにとっては、90年代以前の常識が通用しないことになっています。

たとえば、現地校で「どのクラスに入るか?」という問題があります。ミドルスクール(中学校)以上の場合は、アメリカの数学クラスは、「特急コース」から「普通コース」まで、同一学齢でも多くの段階に分かれています。そこで転入生は実力判定試験を受けて、「適切な」段階のクラスに入れられるのです。以前であれば、日本から来た生徒はほとんど自動的に「上級コース」に入れたのですが、現在ではカリキュラムの逆転があるために、簡単には入れなくなっています。

問題は、コース別の格差が大きいということです。「上級コース」の進度は速いのですが「普通コース」に入れられてしまうと、そこにあるのは依然として「昔ながらのアメリカ式」であって、基礎中心になってしまうのです。

思考力重視の「日本式」の強みもある

アメリカは確かに格差社会であり、特に教育の到達度ということでは、家庭の経済的事情や居住地域によって差が激しくなっています。その中で、少なくとも名門大学に進学して、先端技術を担う産業に就職するという場合には、求められる数学の学力は日本よりはるかに高いし、またそのための数学教育の場はふんだんに用意されています。OECD調査での「37カ国中28位」という平均値では測れない世界がそこにあるわけです。

では、日本の数学教育は「もう遅れてしまった」ので、全面的にアメリカ式がいいのかというと、私は必ずしもそうではないと考えています。練習量を増やし、応用問題に取り組んで思考力を鍛える日本式のよさも十分にあるのです。

何でも関数電卓を叩かせるアメリカ式のスピード感も悪くはないのですが、手計算の着実性を訓練する日本式にも、長い伝統に裏打ちされた強みがあります。その強みを活かして、遅れた部分を補う改革が求められています。

たとえば、悪しき平等主義を克服して、到達度別の指導体制を整えるとともに、最先端レベルでは現状プラス2学年程度の飛び級は必要ではないでしょうか。その際にも、思考力重視、作業訓練の質・量重視という「よき日本式」を保つことができれば、低迷する国際競争力も、中長期的には好転させることができるのではないかと思います。

『世界の一流は「子ども」に何を教えているのか』

『世界の一流は「子ども」に何を教えているのか』

 冷泉彰彦・著
 クロスメディア・パブリッシング刊

 

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