From thediplomat.com
 

命日の墓参りも許されない──。1989年6月4日に起きた天安門事件の犠牲者遺族団体「天安門の母」のメンバーらは今年、恒例の万安公共墓地への墓参を禁じると、北京市公安局から通告された。事件から37年を迎える数日前のことだった。

これまで30年以上、万安公墓は遺族にとって毎年6月4日、警察の厳しい監視の下とはいえ、追悼に集うことが許される唯一の場所だった。

今や締め付けは強まる一方だ。「天安門の母」からわが子を奪った共産党体制は、監視下での墓参という追悼行為も取り上げようとしている。

89年春、胡耀邦中国共産党前総書記(当時)の突然の死をきっかけに、中国全土で大規模な抗議運動が発生。改革派だった胡は、86年の大学生による政治民主化要求に理解を示して失脚した人物だ。

学生を中心にした抗議運動は、民主改革や腐敗撲滅を求めて繰り広げられた。平和的な抗議活動だったが、当局は6月4日、天安門広場を占拠するデモ隊に対して、20万人以上の武装した人民解放軍兵士を投入。自国の首都で、自国民への攻撃に踏み切った。

事件で息子が死亡したことを知り、嘆く母親と家族
事件で息子が死亡したことを知り、嘆く母親と家族 DAVID TURNLEY/GETTY IMAGES

公式版の真実ではなく

正確な死者数をはじめ、事件の全体像は今も不明だ。当時29歳だったエンジニア、袁力(ユアン・リー)の母親は息子を見つけるため、遺体400体以上を確認した。息子が火葬された日には、遺体が詰め込まれ、異臭を発する大きなビニール袋2つを目にしたと証言している。

天安門事件が正統性に与えるダメージを認識していた共産党体制は事件直後、国内各地で拘束や粛清が続くなかで、公式の事件像をつくり上げた。国民の記憶に刷り込むことを目的にしたこの公式弁明では、安定や繁栄を脅かす恐れがあった反乱を抑え込んだとして、武力弾圧を正当化している。

だが「天安門の母」が収集した情報からは、多くの犠牲者がデモ参加者ではなく、軍に抵抗していたわけでもないことが浮かび上がる。退役軍人だった馬承芬(マー・チョンフェン)は、自宅がある建物の階段で隣人と談笑中に銃撃されて死亡した。確認されているうち、最年少の死者である当時9歳の呂鵬(リュイ・ポン)は、胸部を撃たれていた。

「天安門の母」の情報に基づき、死亡地点と遺体発見場所を記した「虐殺地図」からは、国家による暴力の現場は天安門広場だけではなかったことが分かる。特に犠牲者が多かった場所が、進軍する兵士が群衆に発砲した木樨地(ムーシーティ)と、広場から退去した学生を戦車が追い回した六部口(リウブーコウ)だ。

「天安門の母」は押し付けられた公式見解にあらがい、真実や正義を求め続けてきた。

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【note限定公開記事】なぜ中国は今、「天安門の母」を恐れるのか──墓参禁止の裏にある「危うい嘘」の揺らぎ

 

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