革命の輸出はもう限界

エルサルバドルでは、ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)が1989年にアメリカの支援を受けた軍隊と互角に戦い、92年には和平を結び、その後は大統領選で2度も勝利した。その過程でキューバは決定的な役割を果たしていたが、その後は不名誉な結果を招くことになった。2019年には反FMLNのナジブ・ブケレが大統領となり、強権的な支配体制を敷いている。

キューバはアフリカ大陸にも革命を輸出した。まずは大陸西南部のアンゴラ。1975年に精鋭部隊をアンゴラへ大量投入してMPLA(アンゴラ解放人民運動)を支援し、ジョナス・サビンビ率いる親米派のUNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)や中国寄りのFNLA(アンゴラ民族解放戦線)と覇権を争った。

88年のクイトクアナバレの戦いでは、カストロ自身がハバナから指揮したとされるキューバ兵の部隊が南アフリカの軍隊を打ち破り、アンゴラの独立を守った。

一方、70年代後半にエチオピアの独裁者メンギスツ・ハイレ・マリアムを支援して行ったオガデン地方への介入は残念な結末を迎えた。メンギスツは91年に失脚し、後に「赤色テロ」時代の人権侵害で有罪判決を受けている。

レーガン米政権のアレクサンダー・ヘイグ国務長官はかつて、キューバの政治家カルロス・ラファエル・ロドリゲスに対し、オガデン上空でロシア製ミグ戦闘機を操縦するキューバ人パイロットによるスペイン語での飛行指示を米当局が傍受したことを伝え、抗議した。これは、カリブ海から数千キロ離れた場所にまで及んだキューバの国際的影響力の拡大を示す極端な例の1つだった。

しかし91年にソ連が崩壊し、キューバへの巨額の支援が途絶えると、こうした冒険の大半は終わりを迎えた。カストロには自力で革命の輸出を続ける余裕がなかった。

※この記事は前編です。後編は6月5日に公開予定です。
 

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