文章術の書籍の大半は、「マニュアル」である。主語と述語を近づけろ、一文は短くせよ、流行語を使いすぎるな。どれも実用的で、即効性がある。誰もが発信者となり、仕事のみならず、趣味で「文章を書く」人が増えた今、ノウハウは確かに重宝される。

しかし、テクニックを頭に詰め込んだ結果はどうだろう? 結局、十全に自分らしい文章が書けた気がしない。そうした失望を覚えたことはないだろうか。

AIが席巻したこの世界を、確かに文章としての体裁は整った、しかし、誰が書いても同じに見える、血の通わない大量のデータが流れていく。自分もまた、その無味乾燥としたタイムラインを構成する一部に過ぎないのではないか? 数多のノウハウをハックし、AIを味方につけたはずの私たちが、真っ白な画面を前にして何か書き出そうとしたとき、なぜこれほどまでに満たされないのか。

その解決のヒントが、一冊の文庫本にある。朝日新聞の名物・名文記者として知られる近藤康太郎氏の著書『三行で撃つ〈善く、生きる〉ための文章塾[増補版]』(CEメディアハウス)だ。単行本刊行時にプロの書き手の間で「劇薬」として話題を呼んだ。厳しい、しかし癖になる、書きたくなる文章読本。11刷まで版を重ねたベストセラーが、著者書き下ろしの「文庫版おわりに」と、ラランド・ニシダ氏による「解説」を加えて、文庫化した。

文章の「自分らしさ」とは
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