1989年の原油流出事故が契機に ERIK HILLーANCHORAGE DAILY NEWSーTRIBUNE NEWS SERVICE/GETTY IMAGES

SSBJ基準が確定するまでの道のりには、多彩な歴史があった。

1989年、原油タンカー「エクソン・バルディズ号」がアラスカ沖で座礁し、1000万ガロン以上の原油が流出。東京-沖縄間を超える2100キロの海岸が汚染された。事故に衝撃を受けたアメリカの投資家と環境団体は、企業に環境情報の公開を求めた。

これが後の、企業が定期的に事業活動の影響や取り組みを公表する「環境報告書」となる。

環境情報の公開を企業に求めたのは、実は投資家だったのだ。

NISAも変化を後押し

2000年、ロンドンでCO2排出情報の開示を促すカーボン・ディスクロージャー・プロジェクト(CDP)が立ち上がる。彼らは世界の大手機関投資家35社の署名を携え、企業に対して開示を迫った。現在、署名投資家は600社を超えている。

さらに15年、主要国の金融当局で構成される金融安定理事会がG20の要請を受け、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)を設置する。イングランド銀行総裁だったマーク・カーニーの主導により、気候変動リスクを財務情報の一部として開示する枠組みが設けられた。

このTCFDの遺伝子を受け継ぎ、国際基準に整合させて生まれたのがSSBJ基準である。突然、降って湧いたルールではない。金融に携わる人間たちが30年以上にわたって積み上げてきた要求の到達点だ。

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サステナビリティ開示の歴史を動かした「長期投資家」
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