しかし、当時のアハマディネジャド大統領がイスラエルに対して過激な発言を繰り返し、イランは国際世論を敵に回してしまう。アハマディネジャドとの関係が冷え込んだラリジャニは、07年にSNSC事務局長を退任した。

そんなラリジャニに復権の機会が訪れた。近年、イランを取り巻く国内外の状況が厳しさを増すなかで危機管理のベテランへの需要が高まり、25年にSNSC事務局長に再登板することになったのだ。

これにより、ラリジャニはイランの戦略的意思決定の中枢に復帰した。しかし、この国では個人が振るえる権限には限りがある。ラリジャニがアメリカとの合意をまとめるためには、幅広い政治的・軍事的アクターの賛同を得なくてはならない。

実は、ハメネイが死亡する前からイランは集団指導体制へ移行しつつあった。高齢のハメネイは24年には既に孤立し、ペゼシュキアン大統領を含む非公式の評議会が統治を担い始めていたのだ。

この集団指導体制の下、24年にはヒジャブ(女性の頭髪を覆うスカーフ)の着用義務を厳格化する新法の施行を延期し、昨年6月にはハメネイ抜きでイスラエルとの停戦に合意した。

ラリジャニはSNSCの事務局長として、主に調整役を担う。治安機関の案を集約し、最高指導部に案を示し、決定事項を実行に移すことが職責だ。その点、ハメネイの死により仕事がしやすくなった面はある。これまで硬直的な最高指導者が外交の手足を縛ってきたことは否定できない。

和平ではなく緊張管理