【まえがき】
今から36年前の1989年、中国の改革開放に伴い、日本では中国人就学生(当時、日本語学校の留学生は就学生と呼ばれた)が急増していた。

学費と生活費を稼ぐためアルバイトをしなければならないが、あまり日本語が話せない者は、仕事を見つけるのが難しい。そんな彼らが選んだのは、言葉が通じなくても1日1万円を稼ぐことができる建設現場での肉体労働だった。

中国人の就学生たちはどうやって肉体労働の仕事を探しているのか。彼らの生の声を聴くため、当時、日本にいる中国人留学生向けの中国語の新聞である「留学生新聞」の編集長を務めていた私は、日雇い労働者の寄せ場として知られた東京・山谷へ取材に向かった。

80年代末の山谷の現実をリアルに描いたルポは、「留学生新聞」第7号(1989年6月1日発行)に掲載された。今回、私が36年前に中国語で執筆した「山谷ルポ」を初めて日本語に訳して発表する。

(※以下は36年前の中国語によるルポを翻訳したもの。できるだけ当時の表現をそのまま使用している)

南千住駅から近い山谷地区。36年前の当時、日本一の日雇い労働者の寄せ場と言われた(2025年4月撮影)
南千住駅から近い山谷地区。36年前の当時、日本一の日雇い労働者の寄せ場と言われた(2025年4月撮影)

「山谷」日本社会の最底辺――日雇い労働者の寄せ場を密着取材

ここは商業都市だが、朝5時から7時まで、サラリーマンは1人もいない。

女性の立ち入り禁止の宗教聖地ではないが、女性は一人では立ち入らない。

ここは社会の底辺とされているが、アルコール自販機の売上は日本一である。

ここが「山谷」だ。ここに泪橋がある。ここには中国人就学生もいる。

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池袋から始発電車に乗り、南千住へと向かった
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