また、実際にはお父さんではなく、お母さんが間違って食べてしまったというケースもありうるだろう。だとすればその場合、お父さんは犯人ではないのに疑われ、冤罪が生まれてしまったということになる。

ここからも分かるように、冤罪は意外と身近なものなのである。

なお、こうした事件については、3つの問題点を指摘することができるという。


   その1 誰も犯行を目撃していない
 子どもは目撃者ではなく、お父さんが犯人かもしれないという推測を述べているにすぎません。本来、このような供述は証拠としての価値がありません。(57ページより)

とはいえ、実際の捜査の際にも被害者にはまず事情聴取をするので、こうした憶測に基づく供述が先に立つことは少なくないようだ。実のところ、当事者であり事件のことを一番よく知っている人の推測は、当たっている場合があるだろう。

対するお父さんは、この推測が外れているという証拠を提示することが難しい状況にある。なぜなら自分が無実であるという証明は「悪魔の証明」だからだと著者は述べるのだが、果たして悪魔の証明とはなんなのだろう。


 悪魔の証明(devil's proof)とは、証明が不可能または困難であることを言う慣用句ですが、事実が「ないこと」の証明がその典型例として挙げられます。
 悪魔は存在しませんが、それは悪魔の存在を証明することができないというだけで、悪魔が存在しないことまで証明するものではありません。このように、「ないこと」の証明は本質的に困難なのです。(57ページより)

性格や過去の事実から「犯人」と推測
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