<ニューヨーク在住のジャズピアニスト・大江千里氏によるエッセイコラム。かつて、ニューヨークでの夢を諦めひっそりと帰国したことがあるという大江氏。当時の思いと、13年後に一念発起して再渡米し、2020年の始まりをニューヨーカーたちと「蛍の光」と共に迎えた胸の内とは>
1989年12月31日。僕は初めて訪れたニューヨークで、知り合ったばかりのニューヨーカーに連れられ、当時隆盛を極めていた大箱クラブにいた。
大勢の人でごった返すなか大音量の音楽に合わせてカウントダウンが始まり、見知らぬ人同士で乾杯した後マイナス16度の外に出た。すすった鼻水が凍りそうで、熱気でむせ返りそうなクラブの中と外のギャップは一体何なんだと衝撃を受けた。
あれから30年。気が付けば僕はニューヨークに住み、この街でジャズメンとして新年を迎えている。ジャズバーでのカウントダウン。5、4、3、2、1──誰からともなく始まった掛け声が大声になり、あの日と同じようにシャンパンが威勢良く開く音が新しい年にこだまする。
ハッピーニューイヤー! 口々に叫び乾杯した後、毎年恒例の「オールド・ラング・ザイン」の合唱に。スコットランド民謡のこの曲は、日本では「蛍の光」として知られる「さよなら」のときの歌だが、こちらじゃ始まりのときに歌うのだ。
ニューヨークで新年を迎えるために世界中から訪れた人々が、それぞれ自国の歌詞で参加する。一度にいろんな歌詞の聞こえる歌の伴奏をする至福ったらない。多民族が音楽でつながる瞬間。世界がこんなふうにいつまでも続けばいいのにと思う。
確かに僕はあの日この街にいた。当時、一目ぼれのニューヨークに戻りたくて小さなアパートを借り住んでみたが、4年ほどで、日本での仕事を続けつつ語学学校に通う日々から現実に戻ろうとひっそり日本へ戻った。
帰国する日、ジョン・F・ケネディ国際空港へ向かう橋の途中で一度だけマンハッタンを振り返った。「また気が向いたらいつでも帰っておいで」。そんなクールな感じでニューヨークは静かにそこにいた。