佐伯 私はちょうど2023年4月から1年間イギリスに滞在しておりまして、5月のチャールズ3世国王の戴冠式前後の現地の様子も見聞いたしました。
おっしゃるように、ケンブリッジ最古の教会での祝賀コンサートで聞いたお説教では、「このたびの儀式は聖書の教えをくみ、ソロモン王の時代の儀礼にのっとっている。聖書の教えを思い出し、ソロモン王にまで遡ってこの戴冠をお祝いしましょう」と旧約聖書に言及されていました。
君塚 ダビデとソロモンは旧約聖書における理想の王様です。オットーも、ユーグ・カペーも、それからエドガー以後の王様もそれを理想にしていますから、「塗油」の儀式を重んじ信服するわけですね。
また、神からパワーを授けられた王様は病を治す力を得るとされ、12世紀頃のフランスでリンパが腫れる病気を王様が触れて治す儀式が始まり、7月革命で追放されるシャルル10世の1820年代まで続いています。
イングランドでは、ステュワート王朝のアン女王の時代まで続けられました。一度に数百人、数千人に対して行なうのですから大変だったろうと思います。
佐伯 王様のある種のご公務ですね。
君塚 今の日本で言う私的行為と公的行為の両方の性質を持つものですね。戴冠式で神様から授けられたパワーによる儀式が19世紀まで残っていたわけですから、ましてや中世では当然みんな信じていましたし、普通の公爵や伯爵とは違って、戴冠式ができる王様というのは特別な存在でした。
しかし、1517年のルターによる宗教改革が決定打となり教皇庁の権威は失墜します。一方、イングランドでは、ヘンリー8世が1530年代にイングランド国教会を築いたことにより、カンタベリー大主教も国王の叙任によることとなり、それ以後、イングランドにおいては王様が「権威」「権力」の両方を握ることになります。
佐伯 日本では、明治の近代化以降に、皇室の存在も近代社会のなかに位置付けられ、国民国家の構築といわゆる神社神道との融合を背景に、宗教儀礼としての新嘗祭など、平和や豊穣を祈る宮中祭祀が天皇の重要なご公務の1つとして継承されています。
一方で、戦後の政治を語るときには政教分離の方針も示されています。歴史的変遷において日英の相違がありつつ、日本でもイングランドでも、人間を超えた、つまり人知を超えた何らかの神聖なものを信じ、そこから「権威」をいただくという発想には共通性があるわけですね。
「聖なるもの」は秘儀性、神秘性を伴いますので、日本の新嘗祭や皇位継承の際の大嘗祭は夕方から深夜に非公開で行なわれますし、イギリスの戴冠式でも「塗油」の儀式だけはオープンではありませんでした。