佐伯 戦士か否かという点は極めて重要ですね。さらに、皇室・王室の「権力」と「権威」の歴史に目を向けますと、日本の場合は、鎌倉、室町、江戸と「権力」を獲得した武士による武家政権が続きますが、「権威」は京都の天皇から得ていますね。
イギリスの場合、チャールズ3世国王の戴冠式もそうでしたが、イングランド国教会のカンタベリー大主教から宗教的な権威を授かるわけですから、キリスト教の首長が「権威」、王権が「権力」として分離しているとみることも可能かもしれません。
しかし、最初にお話しいただいたように、君臨すれども統治せずとはいいながら、イギリス国王は、政治に直接関わらないように見えて、旧イギリス連邦トップとしての役割なども含めて、実質的にはイギリス社会の様々な側面と密接に関わっているように思います。
君塚 キリスト教はご存じのとおり、もともとはヨーロッパではなくパレスチナで生まれたユダヤ教の新しい改革派でした。
ローマ帝国でしばらく弾圧されますが、4世紀に認められ国教化されます。590年にローマ教皇に即位した、グレゴリオ聖歌で有名なグレゴリウス一世は野心家で、特に西ヨーロッパに布教していきます。
594年頃イングランドに派遣された初代カンタベリー大司教となるアウグスティヌスが、大陸に近いカンタベリーに拠点を置き、ここでイングランドにキリスト教が広まります。
そして、10世紀頃にはローマ教皇庁が権威となり、「宣誓(教会や法、民を守るとの誓い)」「塗油(聖油を身体や頭に塗る)」「戴冠(王冠をかぶる)」の3つの儀式が行なわれる戴冠式が始まります。
この3つの儀式のうち、英語でアノインティング(anointing)と言われる「塗油」が、王が神からパワーを授けられる重要な儀礼とされます。
「塗油」自体は紀元前3000年頃のエジプトやメソポタミアで始まったもので、旧約聖書にも、ダビデ王が油を注がれる、あるいはソロモン王が祭司ザドクから油を注がれラッパが吹き鳴らされるといった記述があります。
こうした場面が引き継がれたユダヤ教においては、「メシア」は「油を注がれた者」を意味する古代ヘブライ語です。それが新約聖書では古代ギリシャ語の「クリストス」になりました。イエス・キリストも「油を注がれた者」の称号を授かった王様なのです。
キリスト教で「塗油」を受けるのは本来は聖職者のみでしたが、ローマ教皇庁はその権威を固めるため一部の有力者への「塗油」も認めていきます。イングランドでは925年に、事実上最初の議会を開いたアゼルスタン王に対して「塗油」と「戴冠」の儀式が行なわれました。
ヨーロッパの他の国々にも広がり、962年に後の神聖ローマ帝国のオットー1世、973年にはアゼルスタンの甥のエドガー、987年にはユーグ・カペーとドイツ、イギリス、フランスに定着していきます。