今週のコラムニスト:アズビー・ブラウン

〔4月27日号掲載〕

 3月11日の大地震が起きたとき、私は東京・原宿の研究所で仕事をしていた。強い揺れが長く続いたので、ついに巨大地震が東京に来たのだと思い込んだ。

 しかし東京に巨大地震は来なかった。だから私は地震から数時間たつまで、東京が震災の影響を強く受けるとはまったく思っていなかった。せいぜい2、3時間も待てば電車が動きだし、電話もすぐに通じるようになると思っていた。

 実際には少なくとも数日以上、東京の都市機能は麻痺し続けた。現時点でも震災の影響から抜け出せていない。東日本大震災で浮き彫りになったのは、東京(や同様の大都市)が市民の生活に欠かせない物資などを、いかに遠くの土地に依存しているかという点だ。

 農産物などの食料品もそうだし、飲み水や電力もそうだ。こうした必需品の供給地が大災害に襲われれば、東京の生活に重大な影響が及ぶ。それに食料やボトル入りのミネラルウオーター、乾電池、トイレットペーパー、薬品などの供給は、複雑で精密な輸送システムに依存している。災害が起これば、その輸送網が破綻しかねない。

 東京の必需品供給体制は非常にもろい。主要な拠点が1カ所機能しなくなれば、すべてが止まる。その点、私が研究している数百年前の江戸には、今の東京よりはるかに強力な供給体制があった。

 当時の江戸は近隣の地域から生活物資の多くを調達し、遠隔地から運搬する物資については多様な輸送ルートを用意していた。1783年に起きた浅間山の大噴火の後、東北で大飢饉が起きたが、江戸はおおむねほとんどの必需品に関して複数の調達ルートを持っていたおかげで、1つの供給地が被害を受けてもほかの土地から調達できた。

■すべてがうまく回るシステム

 江戸の素晴らしい点の1つは、さまざまな要素が互いに結び付いていることを利用して、一挙に複数の問題を解決する仕組みを採用していたことだ。

 食料供給はその例だ。江戸の都市の規模は、生鮮野菜の供給を近隣地域(輸送時間が半日以内)で賄える範囲にとどめられていた。輸送手段は、主に人力と船。動物はほとんど用いられていなかった。家畜をあまり使わなければ、町がふんで汚れず、水が汚染されない。家畜の餌を栽培せずに済むので、人間の食料を栽培する農地を増やせる。

 武士の家では(江戸の130万の人口のおよそ半分を占めていた)大抵、自分たちの食料をたくさん栽培していた。近海の漁場の管理も行き届いていて、すぐそばで魚が豊富に取れた。いろいろな貝や海藻も採取できた。

 遠くから船で運搬される食料は、干すなり、漬物にするなりされていて、冷却して鮮度を保つためのエネルギーはもちろん必要なかった。それにコメを別にすれば、遠くから調達する食料は必需品でなく、あくまでも嗜好品だった。刺し身など、火を使わずに食べられる料理も多かった。

 重要なのは、さまざまな局面で無駄なエネルギーを使わずに済む方法を見つけられるということだ。私たちは直面している問題の解決に当たって、二者択一で考えがちだ。原子力発電を火力発電や風力発電に変えるべきか、そうでないのか、というように。

 けれども江戸の知恵に従えば、大事なのは問題を再定義することだろう。エネルギーや食料、水、物資を安全に供給する多様で強固なシステム──相互に結び付きながらも依存し過ぎない──を実現するにはどうすべきなのか。

 震災を境に、私たち全員の人生が変わった。多くの人が傷つき、誰もが恐怖を感じた。その半面、人々の意識が高まり、社会の絆が強まったように思う。今までのように大量の燃料を使わずに生きていけるという重要な事実にも気付いた。巨大地震を経験せずにそれができたことに、東京の住民は感謝すべきだろう。