「家族を守る」ことは僕にはできなかった

「自然」だった娘は、立派な社会的動物に成長していた。

妻の場合とは逆に、娘とは言語コミュニケーションを心がけていた。抱っこや肩車といった非言語コミュニケーションは生まれた頃からできていたが、娘の成長により、言語コミュニケーションが有効になっていたのだ。

(妻の割れたケータイについて)「あたらしいのかってあげよっか」

「もうだんごむしはおうちかえってねるの!」

「ねえねえ、たのしいね」

お話が上手になった。

また、娘はイヤイヤ期の真っ只中だった。まずは話を聞いて受け入れ、言葉を返す。そうしているうちに、「おむかえパパがいい!」と言葉で示してくれることもあった。

ふと我に返った。娘と僕の親子関係は、休んでいた期間が長かったから、よく接していて、ずっと良好だったのだ。妻の仕事が忙しかったこともあり、娘とふたりで過ごす時間もとても多かった。よくいろんな話をした。

「普通の父親」が思い描くような「家族を守る」ことは僕にはできなかった。壊しかけてしまって、心が折れていた。しかし、家族という抽象的な概念ではなく、この妻と娘との具体的な「関係」を守る役割ならできるかもしれない。個別の人間同士として、三人でともに暮らして、少しでも良い影響を与え合えたら良いのではないか、と。

背伸びして、肩に力を入れて作っていた「父親像」はとうに崩れていた。親はひとまず、子が大人になるまでの二〇年程度の間、本人のサポートを任されているだけの立場であることを考えよう。

建築に「柔構造」と呼ばれる構造形式がある。揺れを剛つよくはね返すのではなく、受け入れて、自らも柔らかく揺れながら受け流す構造だ。僕は、目指す父親像を「剛」から「柔」に変えた。

言い換えれば、ケア役割を主体的に担うことである。この時期も、寝かしつけやお風呂のサポート、保育園の送り迎えをやっていた。娘に対して取っていたケアの姿勢を、さらに妻にも適用し始めればいい。

僕の誕生日に、娘は「パパのたんじょうびじゃない!」と言って、自分でろうそくの火を消していた。自分の誕生日でないことが不満だったのだ。妻の誕生日も、すべての誕生日が娘のものになっていく。それを僕は、笑って見ている。

発達障害のある自分を受け入れ、家族のケア役割も受け入れることで、歯車が嚙み合い始め、視界がスカッと開けてきたのだ。

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『僕は死なない子育てをする: 発達障害と家族の物語』
 遠藤 光太 著
 創元社

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