<映画『摩文仁 mabuni』が映した、死者と生者をつなぐものについて。『アステイオン』104号より「摩文仁の丘で見つめた慰霊」を転載>
戦後80年の節目を迎えた去年、僕は自ら監督したドキュメンタリー映画『摩文仁 mabuni』(*1)を全国の劇場で公開した。15年にわたりレンズを通して見つめ続けてきた、人々の「慰霊」という行為について改めて考えてみたい。
沖縄本島南部、糸満市摩文仁。81年前、この地は沖縄戦最後の激戦地となり、日本軍とアメリカ軍による地上戦の帰結として、数え切れない命が失われた。
戦闘は軍と軍の間だけで完結することはなく、集落や壕、畑や森といった人々の生活空間そのものを飲み込みながら進行した。その結果、戦後の摩文仁には、誰のものとも知れぬ遺骨が道路や丘、畑や林に散乱するという、言葉を失う光景が広がることになった。
戦争が終わったからといって、人々の生活がすぐに回復したわけではない。多くの住民は故郷に戻ることを許されず、収容所でのテント生活を強いられた。生き延びること自体が切実な課題であった時代に、死者を悼むことは後回しにされても不思議ではなかった。
しかし摩文仁では、生活再建とほとんど同時に、遺骨を拾い集め、慰霊塔の建立が始まった。人々は目の前に横たわる死を、そのまま見過ごすことができなかったのである。
やがて摩文仁一帯は平和祈念公園として整備され、国家主催の戦没者追悼式典が行われる場所となった。国家的記憶装置としての摩文仁。その一方で、この土地には、国家の語りに決して収まりきらない無数の個人的な記憶と祈りが、幾重にも折り重なっている。
僕は若い頃から、摩文仁を訪れるたびにある種の不思議な感覚にとらわれてきた。本来、これほど膨大な死が集中した土地であれば、怨念や恐怖、暴力の記憶が重く沈殿していても不思議ではない。
ところが実際そこに立ってみると、悲惨な歴史を思い起こしながらも、同時に空気が澄み、心が静まっていく感覚に包まれることがある。戦争の痕跡を刻み込んだ土地が、なぜ「清らかさ」を感じさせるのか。この感覚はいったいどこから来るのか。長く僕の思考の底に沈み続けてきた。
考え続けるうちに、ひとつの仮説が浮かび上がった。それは、摩文仁という土地が、人々により繰り返されてきた「慰霊」によって、時間をかけて意味づけられてきたのではないか、という考えである。
死者を悼み、名を呼び、祈りを捧げる。そのことが、社会を即座に変革する力を持つわけではない。しかし、数え切れない人々の身体と時間を通過しながら積み重ねられた祈りは、土地の性格そのものを、ゆっくりと、しかし確実に変容させていく力を持ちうるのではないだろうか。
この思いが、摩文仁を舞台に人々の慰霊の姿を記録し続けるという、長い時間を要する仕事へと僕を向かわせた。15年以上にわたって撮影を続けるなかで、象徴的な出会いがあった。旧摩文仁村米須にある慰霊碑「魂魄(こんぱく)之塔」のそばで、半世紀以上にわたり参拝用の花を売り続けてきた大屋初子さんだ。彼女は『摩文仁 mabuni』の主人公である。