Ann Saphir
[ジャクソンホール(米ワイオミング州) 31日 ロイター] - 人工知能(AI)を駆使した取引が急速に普及し、高速かつ効率的になった世界を想像してみよう。
そこでは、金融政策の変更に対して人間が反応する機会を確保するため、米連邦準備理事会(FRB)は人間向けと機械向けの2種類の記者会見を開かざるを得なくなる。
過去数十年で透明性を高めてきた中央銀行は、AIエージェントに先回りされるのを防ぐため、あえて曖昧な表現や予測しにくい政策運営を採用しなければならなくなる。
さらには、AIによる市場操作のリスクを回避するため、金融政策当局は信用市場への直接介入や中銀のバランスシート拡大を余儀なくされる。
米プリンストン大学の経済学者マーカス・ブルネルマイヤー氏は、ワイオミング州で開かれた経済シンポジウム「ジャクソンホール会議」で8月29日、こうしたディストピア(反理想郷)的なシナリオを提示。金融界にはAIの普及で広範な変革が起きる可能性があり、備えを進め、すぐに対策を講じるべきだと警鐘を鳴らした。
中銀関係者はこれまで、AIが労働市場や生産性、インフレなどにどう影響するのかといった問題に重点を置いてきた。今回の会議でも、ベセント米財務長官が打ち出した政府債務の買い戻しが市場に及ぼす影響や、ウォーシュFRB議長が政策コミュニケーションの手法をより率直なものへと転換したことなど、はるかに差し迫った問題が議論の大半を占めた。そうした中でブルネルマイヤー氏は、AIが中銀に与える影響について、金融市場に焦点を当てた新たな視点を示した。
ブルネルマイヤー氏によると、AIは人間よりもはるかに優れた情報処理能力を持つため、中銀が何を決定するかを、政策当局者自身が把握するよりも前に、ほぼ確実に予測できるようになる。その結果、AIは中銀の政策行動を見抜いて利益を上げる取引などの戦略を、合法・違法を問わず考案できるようになるという。
AIエージェントが大規模に導入されれば、金融当局を容易に出し抜き、金融市場の動きそのものを変えてしまう可能性があると同氏は指摘。この状況を「非対称的な理解(asymmetric understanding)」と呼んだ。
ジャクソンホール会議の講演資料としては異例なほど哲学的な論文の中でブルネルマイヤー氏は「人間がAIエージェントと相互作用する世界では、市場の情報発見機能が低下し、より不安定になるというテールリスク(確率は低いものの実際に生じれば大きな影響を及ぼす可能性のあるリスク)が生じる恐れがある。このような事態に備えるには、規制を簡素さと頑健性を重視する方向へ転換しなければならない。中銀は、中銀が市場を理解するよりも、市場の方が中銀をよく理解しているというゲームに直面することになる」と論じた。
こうした状況に置かれると中銀関係者は、より明確さに欠ける発言をする必要があると感じる可能性があるという。そうなれば、政策当局の見解を率直かつ明確に伝える方向へ数十年かけて進んできた中銀の取り組みは逆行する。
ブルネルマイヤー氏は「透明性については考え直す必要がある。なぜなら、予測可能性は金融面での優位性を巡るゲームにおいて、相手に武器を与え、政府当局をわなにはめる動きを誘発するからだ。ゆえに、不透明性を保つ方が理にかなっている場合がある」と指摘した。
同氏は、AIが無秩序に広がれば制度への信頼を損ない、高度なAIツールを利用できない人々が不利な立場に追いやられる可能性もあると警告。「人間向けに、基準となるストーリーを示す記者会見と、学習用データという形で機械向けに行う記者会見の2つを開く、あるいはAIエージェントをインフルエンサーとして扱うといった対策だけでは、この課題を根本から解決することはできず、ほんの気休めにしかならないだろう」とした。
2日間にわたる会議の合間に取材に応じたシンポジウム参加者らはこの論文について、AIが金融市場をどのように変え、それによって中銀の行動がどう変わるのかという問題を整理する上で役立つとの見方を示した。
ボストン地区連銀のコリンズ総裁はインタビューで「AIや金融イノベーションは真の好機をもたらす一方で、違法行為の増加を食い止めるべくリスク対応を徹底すべき領域があるのも確かだ。そうした問題を全て慎重に考える必要がある」と指摘。「極端な選択肢を示して問題を整理する今回のような論文は、活発な議論を促すのに役立つと思う」と述べた。
もっとも、コリンズ氏ら中銀関係者は今のところ、現実味に乏しいディストピア的な未来よりも、AIや金融イノベーション全般が短期的に現実の経済や金融市場に及ぼす影響に関心を示している。会議では、関連するテーマを、より実務的で身近な観点から扱った論文も発表された。ウォーシュ氏も8月28日の基調講演でAIについて、かなり楽観的な見方を示した。
ブルネルマイヤー氏の論文も、より優れたリスク管理や、人間の能力をはるかに上回る監視・監督を可能にするなど、AIが持つプラスの可能性に触れている。ただ論文の焦点はあくまで潜在的なリスクに置かれている。同氏は、こうしたリスクに焦点を当てることこそが、「AIの恩恵を確保しつつ、その弊害を回避する最善の方法」だとしている。