また、中国ムスリム(中国全土に暮らす、漢語を話すムスリム)が、著述言語によって書きぶりを変えることで漢人との緊張緩和を試みたことも、多言語性が人々の共存に資した例として挙げ得る。
前近代の中国ムスリムは、漢人が読めないアラビア語・ペルシア語の著述で、自らを正しいムスリムとして誇示するにとどまったが、漢人が理解可能な漢語著述の中では、しばしば自らを「イスラーム的」であり同時に文化的に「中華的」であると表現した。自らと漢人との文化的相同性を強調し、彼らとの共生を図ったのである。(*2)
第二に、船山徹氏の仏典漢訳の限界に関する議論は、中国ムスリムによるアラビア語・ペルシア語文献の漢訳と比較しながらとくに興味深く拝読した。
サンスクリット韻文の漢訳では、原文の一詩節を五言四句や七言四句の詩の形で訳すことで、原文が韻文であることが示されたが、訳詩における漢詩の作法に則った押韻や、原詩の韻律の反映は断念されたという。
いっぽう中国ムスリムの中には、アラビア語・ペルシア語詩を漢語韻文の形で訳す際に韻を踏んだり、原詩の韻律を再現しようとしたりする者もいた。
たとえば馬安礼(1901年以降没)は、アラビア語の預言者称賛詩『外套頌(カスィーダ・アル=ブルダ)』を『天方詩経』(アラビアの『詩経』)と題して漢訳したとき、原詩を『詩経』で多用される四言詩の形式で訳した。
そして訳詩の一部は、清朝考証学の泰斗、顧炎武(1682年没)が復元した、古代漢語(上古音)の押韻ルールに則って脚韻を踏むように作り込んだ。(*3)
かくしてイスラーム経典『外套頌』と儒教経典『詩経』の親和性、ひいては両教の相似性、つまりはイスラームの正当性を、漢人に理解させようとしたのである。
また、馬徳新(1874年没)は『天方詩法』でアラビア語詩の韻律を解説した際、そのリズム要素、長音節と短音節を、漢詩のリズム要素、「平」と「仄」で表した。
そして、アラビア語詩の韻律の一種、タウィール韻律(「短長長短長短長、短長長短長短長」というリズム)の実例として、クルアーン18章29節「〔信仰を〕望む者に信じさせ、〔不信を〕望む者に信仰を拒ませよ」を引き、これを次のように漢訳した。
若人欲信其信之、若人欲逆其逆之
これらの各漢字の平仄は次のようになる。
仄平仄仄平仄平、仄平仄仄平仄平
「平」と「仄」が各々アラビア語の長音節と短音節に対応するのだとすると、この平仄の並びは、タウィール韻律の許容されるヴァリエーション「短長短短長短長、短長短短長短長」というリズムに一致する。要するに馬徳新は、アラビア語原詩の韻律を漢訳でも表現しようとしたのである。