「死ねば楽になる」は本当なのか
著者のプロフィールに書かれてあるとおり、まさに「日常の言葉で語る哲学エッセイ」なのである。
例えば、自殺についての記述。
自殺する人は多くの場合、生きている苦しさの裏返しとして「死ねば楽になる」と短絡する。なぜなら先に死んだ人は、死んだことで楽になったように見えるからだ。
つまり、もう生きていないから、生きなくても済んでいるから、楽になったように見えるということだ。
なるほど、死んだ人は生きなくてすむから、楽になったように、生きている我々には見える。しかし、死んだ人自身が本当に楽になっているのかどうか、じつは知れたものではない。そんなことは、我々にはわからない。ひょっとしたら、死ぬということは、とくに自ら死ぬということは、生きていることよりも苦しいことであったとしたら、どうする。(17〜18ページより)
なお印象的なのは、人間の死に方には4つしかないという指摘である。自殺か他殺か、病死か事故死。いま生きている人間の死に方はすべて、必ずこれらのどれかに分類されるということだ。
当たり前のことではあるけれども、これは無視できない重要な事実である。
人は死に方に、いろいろな呼び名をつけている。そして“漠然と”「あんな死に方がいい」「こんな死に方は嫌だ」などと考える。
ところが死を出来事そのものとして捉えてみれば、私たちにはこの4つの死に方しかないということが分かる。
そして、そこに気づければ「死にたい」という願望についての考え方にも変化が表れるのではないかと著者は言う。
こんなふうに死にたいという願望は、じつは死に方の願望ではなくて、生き方の願望なのである。だから、いざその段になって、なぜ自分がこんな死に方をするのか、理不尽に思うことになったりもする。しかし、すべての人間は、必ず四つのうちのいずれかで死ぬのだ。そうわかっていると、どの死に方でも、あんがい納得できるのではなかろうか。(150ページより)