Kentaro Sugiyama
[東京 17日 ロイター] - 中東情勢の緊迫化を受けて上昇した原油価格は下落基調をたどっているが、これが直ちに国内物価の沈静化につながるとの見方は少ない。原油高の波は今後、時間差を伴って消費者物価に届くからだ。さらに企業側は一度引き上げた価格を簡単には戻さないと予想される。価格には、上がる時よりも下がる時の方が動きにくい「下方硬直性」が働きやすい。日銀が注視する基調的な物価動向を考える上でも無視できない要因となりそうだ。
市場が当初懸念したのは、原油高そのものに加え、供給制約やサプライチェーンの目詰まりが経済を下押しするリスクだった。しかし、供給制約が日本経済を大きく下押しする懸念は足元で後退し、影響の焦点は、原油高が国内物価にどう波及するかに移りつつある。
3月から5月にかけての原油高は、今年後半の消費者物価を押し上げる方向に働く。原油を輸入し、企業の調達や価格設定を経て最終価格へ反映されるまでには一定のラグがあるためだ。その影響はエネルギー価格にとどまらず、時間をかけて食料品やサービスなどにも波及していく。
ロシアによるウクライナ侵攻を機に発生した2022年の資源高は、日本企業の価格設定行動が変わる転換点となった。長く続いたデフレ環境の下では、値上げによる顧客離れを恐れ、価格転嫁に慎重だった。
ただ、この数年、原材料費や物流費だけでなく、賃上げに伴う人件費の上昇も販売価格へ反映する動きが広がってきた。消費者側にも値上げをある程度受け入れる姿勢が広がり、企業にとって価格改定の心理的ハードルは以前より低下しているとの見方が多い。
こうした価格転嫁姿勢の変化は企業調査にも表れている。6月の日銀短観では、大企業の販売価格判断DIが製造業、非製造業ともにプラス40と、3月調査から大きく上昇した。企業がコスト上昇を販売価格に反映しやすい環境が続いていることをうかがわせる。企業の物価見通しは1年後、3年後、5年後のいずれも上方修正された。
<値下げを妨げる「メニューコスト」>
春先に大きく上昇した米WTI原油先物価格は、6月には中東情勢が一段と緊迫する前に近い水準まで反落した。現在、米国とイランの攻撃の応酬で再び上昇圧力がかかっているが、水準自体は春先の高値を大きく下回っている。
もっとも、品目によって影響の表れ方は異なる。ガソリン価格は先物相場との連動性が高く、原油安の恩恵が比較的早く表れやすい。電気・ガス料金は燃料価格の平均をもとに算定されるため、原油価格の影響が反映されるまでに時間がかかる。一方、食料品や日用品も包装資材費や物流費などを通じて影響を受けるが、川下の商品は原油価格が下がったからといって同じ幅で値下げされるとは限らない。
価格改定には取引先との再交渉、店頭表示やシステム変更、顧客への説明といったコストがかかる。経済学でいう「メニューコスト」だ。大和証券の南健人シニアエコノミストは、中小企業では価格転嫁がなお十分ではなく、「原油価格が反落したからといって、ようやく実現した値上げをすぐに取り消す誘因は乏しい」と指摘する。
企業の立場からすると一度引き上げた価格を頻繁に変更するインセンティブは小さく、川下に行くほど価格の下方硬直性は強くなりやすい。さらに中東情勢や円安、米通商政策など不確実性が残る中、企業は将来のコスト上昇リスクも意識せざるを得ない。
より粘着性が強いのがサービス価格だ。SMBC日興証券の宮田皓生ジュニアアナリストは「原油価格は下がっても賃金は同じようには下がらない。人件費比率の高いサービスでは、人手不足や賃上げを背景に財に比べて価格上昇圧力が長く残りやすい」と話す。
<デフレ期と異なる物価環境>
一方、景気後退リスクを強く警戒する見方は少ない。供給制約が深刻化しない中、AIや半導体関連を中心とした設備投資需要は底堅く、個人消費も弱さを残しながら持ち直し基調を維持している。景気が大きく崩れなければ、企業が値下げ競争を迫られる可能性も限られる。
原油価格の反落はエネルギーを輸入に頼る日本経済にとって安心材料だが、直ちに物価沈静化を意味するわけではない。賃金、人手不足、企業のインフレ期待、企業の価格転嫁行動の変化が重なり合う中、日本経済は価格が下がりやすかったデフレ期とは異なる物価環境に移りつつある。
こうした環境は、日銀にとっても無視しにくい。原油価格の反落だけをもって物価上振れリスクが後退したとは判断しにくく、企業の価格設定行動や賃金上昇の広がりを見極める必要があるためだ。日銀の中村康治理事は16日の参院財政金融委員会で、金融緩和度合いの必要な調整が遅れると物価上振れリスクが顕在化し「その後の景気下押しにつながる恐れがある」と語った。
(杉山健太郎 グラフィック作成:田中志保 編集:橋本浩)