そこで、もう少し工夫するようになると、今度は志貴皇子スタイルになるだろうか(万葉一四一八)。

ここでは、「石激」が「シージー」や「せきげき」などではなく、つまり字音を借りるのではなく、和語で言う「いわ」や「はしる」という意味にあたる文字なのだから、それをそのままこの漢字の読みにすればいいという発想が働いている。訓読みの萌芽である。
だが、それでもまだ、字画の節約からはほど遠い。そこで、いっそ日本語にふさわしいシンプルな音標文字を考案してはどうだろうか、と、あちこちで工夫され始めたところから、やがて「仮名」が生まれてくる。
一方では、王朝女流文学者たちのあいだで、漢字の草書体をさらにくずし、「安」→「あ」のようにして「ひらがな」が形成されてゆく。また一方、漢学者や僧侶たちのあいだでは、経典類に添える訓点の一環として漢字の一部分を取り出し、「阿」→「ア」のようにして「カタカナ」が形成されてゆく。
こうして日本語の表記法のなかには、「漢字」「ひらがな」「カタカナ」という3つの文字種が成立し、そこに感情的なニュアンスも込められるようになるだろう。
たとえば、「癌」「がん」「ガン」と書いてみる。漢字だといかにもゴツゴツし、重篤な病のようで恐ろしい。これがひらがなになるとどうだろう。急に和らいでホッとする。さらにカタカナになると、やや中立的というか、ニュアンスが除去される。今日このカタカナが外来語や学術語に用いられているのも、蓋(けだ)し当然のことであるだろう。
さて、こうした「仮名」の登場によって、和語にはまさにおあつらえ向きの表記法ができたわけだし、ここからは「漢語」と「和語」とが、かなりはっきりと際立つようにもなってくる。
「速度」と「はやさ」、「登山」と「やまのぼり」、そして「謹賀新年」と「あけましておめでとうございます」。私たちは、同じ事態を前にして、硬軟両様の表現を自在に使いわけられるようになったのだ。
「レン・リュ・ダオ」から「人が道を踏む」まで
一方、こうした音転写の技術や表記法の進展という側面からだけではなく、漢字文献を読解しようとする先人たちの努力の側面から見ると、現代日本語の成立過程もおのずと明らかになるだろう。
まずはここに「人履道」という中国語がある。「履道」は『論語』里仁篇などにみえる表現だ。当初、これに接したわが先祖たちは、今日、私たちが中国語を学ぶのと同様、まずは「レン・リュ・ダオ」と口伝えで読み(当時の正確な読み方はわからない)、まさしく中国語として学んでいたにちがいない。
意味は、「人が道を踏む」というところから、「人が正しい道を実践する」というところにまで広がってゆく。やがて彼らは、そこから訓読を始めたことだろう。
つまり、「人履道」を見て「人(ひと)が履(ふ)む道(みち)を」と読もうとする(本来は「人履〔ひとふ〕む道〔みち〕を」と古風にすべきだろうが、考え方さえわかればいいので、端折っておこう)。
さて、そうすると「人が履む道を」の太字の部分が「人履道」に対して余分になっており、それがいわゆる「テニヲハ」や「送りがな」であることがわかるだろう。実は、これらの部分こそが、中国語にはない日本語に特有のものなのだ。