<広東語が世界へ広まった意外な背景について。『アステイオン』104号の特集「漢字・漢語・漢文──文明から考える」より「世界の広東語──漢語のグローバリゼーション」を一部抜粋>

2種類の中国語

『チャーリーズ・エンジェル』、『キル・ビル』など多数のハリウッド出演作で世界的に有名なアジア系アメリカ人俳優のルーシー・リュー。家族のルーツについて、2010年にスコットランド出身のアメリカのコメディアン、クレイグ・ファーガソンが主催するトーク番組に登場し質問を受けた。

「両親は中国出身ですか?」「そうです。」「上海と北京です」とリューが付け加えるのとほぼ同時でファーガソンが二の矢で放った質問に、日本の視聴者なら首をかしげるだろう。「あなたは北京語(マンダリン)を話すのですか、それとも広東語?」。

なぜここで広東語が出てくるのか。日本では中国語と言えば北京語のことしか指さないので、それ以上、内訳を尋ねる発想がない。そもそも広東語とは何なのか。昨年、日本で人気を博し異例のロングラン上映となった香港のアクション映画『トワイライト・ウォリアーズ決戦! 九龍城砦』の効果もあり、香港の言葉だとの認識が多少広まったかもしれない。

しかし、一般には知名度が低い。ところが、アメリカでは広東語は北京語と同様、堂々と中国語のもう一つのオプションになっている。冒頭の例のように「中国語」の下位種を二択で示すことはごく普通のことである。

ちなみに、北京語(マンダリン)という語についても説明が必要であろう。英語のMandarinという語は広東語や上海語などと同様、中国語の下位種として北京語を指すときに使われる。

明代にヨーロッパ人が中国の官吏を指して呼んだ語に由来するが、中国の「普通話」だけでなく台湾や東南アジアの華人が話す「華語」も含む、世界中の華人の共通語を指すカバータームとして使い勝手がよい。しかし、日本では一般に知られておらず訳し方が難しい。

アメリカの映画で広東語と並置されるときのMandarinは字幕では通常「北京語」と訳されている。本来、北京語とは北京の地方方言を指すものだろうが、さりとて時々目にする「北京官話」という訳語は学術的すぎる。ここでは便宜的に北京語と呼ぶことにしよう。

話を戻して、なぜアメリカでは広東語が中国語のオプションの一つになっているのかというと、それは伝統的に国内の中華系移民に広東語話者の占める割合が高く、存在感が大きいからである。

1848年に報じられたカリフォルニアの金鉱の発見はアメリカ内外から多くの一攫千金を目指す人々を引き付けたが、その一角を占めたのが清朝末期の広東省出身者である。

特に台山(当時は新寧〔しんねい〕県)など珠江デルタ西部の4つの県の貧村から大挙して押し寄せた。やがてゴールドラッシュの熱が冷めると、大陸横断鉄道の建設に従事し、さらには線路沿いに東部に移住する者も現れた。

が、まもなく現地の反発から華人排斥法の制定が行われると、新たな華人移民の流入が禁止された。そのため、アメリカでは1960年代ごろまで、広東語・広東文化があたかも中国語・中国文化を代表するかのような世界が築かれ、温存されたのである。