ローマ教皇レオ14世が5月25日、就任後初の回勅(公的書簡)を発表し、AI(人工知能)のリスクに警鐘を鳴らした。今の世界は、AIがもたらす社会的・経済的変革に恐ろしいほど無防備だ。AIについての考察を深め、具体的な対策を講じるべきだという教皇の呼びかけは真剣に受け止めるべきものであり、全ての政策立案者や市民に届くべきだ。
「マニフィカ・ウマニタス(偉大な人類)」と題する回勅で教皇が指摘するように、AIがもたらす変革は産業革命にも匹敵する。産業化の時代と同じく、AIが有益か有害かは使い方次第だという見方も、そのとおりだろう。市場に委ねるだけでAIが公益に導かれるとは限らず、規制が急務だという認識も妥当だ。
回勅は、テクノロジー万能主義の限界を冷静に見据えている。AIが人間を単調な重労働から解放し、余暇の時代をもたらすという説は、機械化が進んだ際もインターネットが登場した時にも唱えられた。そのたびに恩恵を受けたのは富と権力を持つ者で、多くの人々はむしろ不利益を被った。このままでは再び同じことが起こる。
いま最も切迫しているのは、雇用に関する問題だ。教皇は、労働は人間の尊厳に関わるものであり、「成熟と成長、自己実現への道筋」だと説く。AIによる恩恵が少数のエリートに集中し、多くの人が働く機会を手放さざるを得ない社会は、狭い意味では効率的かもしれない。だが、その先によりよい社会があるわけではなく、社会全体の幸福度が増すこともない。
人間の仕事をAIが取って代わる動きは、かつてない速さと規模で進みそうだ。その影響は、ホワイトカラーとブルーカラーの両方に及ぶ。教皇は職業的な再訓練や、雇用不安にさらされた労働者の保護、AIがもたらす恩恵の公平な分配を提言しているが、果たしてそれで十分なのか。いくら再訓練プログラムが整備されても、訓練後に就くはずの仕事自体がAI化されれば、失業者の受け皿にはならない。ベーシックインカムの導入や労働時間の大幅な短縮などにより、労働と所得の関係自体を見直す必要がある。AIによる生産性向上のメリットを公平かつ人道的に分配するという課題に、今すぐ取り組むべきだ。
さらに言うなら、人生の目的を見いだし、家族や地域社会以外で社会的なつながりを得る場でもある仕事をAIに奪われたら、何がその代わりになれるだろうか。ボランティア活動や環境保護がその役割を担えれば理想的だが、現実はそう簡単ではない。
回勅はAIの倫理面にも言及しているが、この難問に対する教皇の見解は十分とは言えない。AIは「経験をしない」と教皇は断じているものの、将来のAIモデルにも同じことが言えるとは限らない。
回勅が土台とするのは、人間中心主義的な倫理観に基づく尊厳の思想だ。やがてAIが意識を持つようになれば、人間の尊厳だけに基づく倫理観を語るだけでは不十分だ。それはある国家、ある人種の利益だけを基準とする倫理観が、やがて道徳的に不適切であることを露呈したのと同じだ。
回勅は弱い存在を包み込むべきだと訴える。だが4万2000語に及ぶ中で、動物には一度も言及していない。工場式畜産では何十億もの動物が想像を絶する苦痛を強いられており、そのシステムの運営にはAIが深く関わっている。
教皇は、人間社会の繁栄にテクノロジーを活用すべきだというビジョンを示している。その枠組みは、人間であれ人間以外であれ、生物であれ人工的な存在であれ、感覚を持つ全存在の利益を視野に入れなければならない。レオ14世の初の回勅を機に、今なすべき議論がなされることを願う。
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【note限定公開記事】AI時代に問うべきは人間の未来だけなのか──見えない苦しみを抱える動物たちを忘れていないか
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