医師団に支えられたキューバ外交

「キューバとの連帯」を掲げる熱心な支持者たちは、カストロ政権にとって極めて有用だった。彼らは通常、文化行事や記念式典、キューバ高官の歓迎、そして革命の成果と利益の宣伝に力を注いでいた。

だが自国の政府が国連でキューバ非難決議に賛成し、あるいはアメリカによる経済制裁に従い、キューバとの渡航・貿易を制限したりすると、彼らはキューバの代理人として抗議デモを組織し、政府批判の寄稿をし、キューバ革命擁護の論陣を張った。

多くの点で、彼らは冷戦時代のソ連を擁護した人たちに似ていた。あの頃もソ連シンパの市民団体や各国の共産党(イタリア、フランス、チリなどでは支持者が多かった)、そして作家や詩人、芸術家、ダンサー、映画監督たちが率先して声を上げ、ソ連の敷いた「党の路線」を忠実に守ったものだ。

21世紀初頭と現在の2度にわたる「ピンクの潮流」とベネズエラからの資金は、革命の資源と威信が失われた後もカストロ兄弟に延命の時間と国外での名声を与えた。例えばキューバは中南米カリブ海諸国共同体(CELAC)の創設メンバーとなった。OAS(米州機構)から北米の2カ国を排除するという長年の夢をかなえたことになる。

キューバはその後も、アフリカと中南米に医師を数千人規模で派遣し続けた。見返りとして各国から支払われる報酬はキューバにとって最大の外貨収入源になっていた。

こうした医師団は現地で親善大使の役目も果たし、キューバ外交の顔と言ってもよかった。第2次トランプ政権の圧力でジャマイカやホンジュラス、グアテマラ、ガイアナは医師団の受け入れを打ち切ったが、メキシコやイタリア南部カラブリア州など、多くの国や地域は今もこの制度を利用し続けている。

キューバの体制はなぜ今も存続できている?
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