※この記事は後編です。前編「キューバに対して強硬姿勢を崩さないトランプによって、搔き消える『キューバ革命伝説』の灯」はリンクからご覧ください。
しかし、間もなく新たな救世主が出現した。99年にベネズエラの大統領となったウゴ・チャベスだ。そしてカストロは、現代国際政治で屈指の離れ業をやってのけた。貧しくて小さく人口も少ない島国が、人口で3倍以上、石油と資源に恵まれた大国を事実上の植民地としたのだ。
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それからの四半世紀、チャベスと後継者マドゥロは何千人もの医師やスポーツ指導者、情報・治安要員と引き換えに安価または無償の石油と外貨をキューバへ供給した。「キューバズエラ」の誕生である。
カストロは再び、地域諸民族の主権、反米主義、社会福祉という理念を押し出した。代わりに民主制度と個人の自由は封印した。
チャベスはその共犯者かつ後援者となり、域内諸国へ安価な石油を提供し、米州自由貿易地域(FTAA)構想に反対し、中南米諸国における選挙による左派勢力の台頭、いわゆる「ピンクの潮流」を主導した。
全体の指揮を執ったのはカストロだが、チャベスはボリビアからエルサルバドルに至る左派政権や、カリブ海の島国をはじめとする各地の政権に気前よく支援を行っていた。だが2011年にチャベスが病に倒れると、その流れも変わった。ベネズエラの石油ブームと、医療チームを通じたアフリカでの長年の活動のおかげで、キューバは国連総会や国連機関で幅広い外交的支援を確保していたが、ジュネーブの人権機関では多くの異論が唱えられていた。
それでもキューバ革命の支持者や旧来からの崇拝者は世界中にいて、キューバとの「友好」を掲げる団体や研究所、協会を結成していた。その中には、海外における非政府組織との関係を担当するピニェイロ革命大臣の率いる「米州局」と密接な関係にある左派政党も含まれていた。